続きましたWK-Pでございます。<(_ _)>
前回の続きをば、もう少し。
普通に自分のことを考えてみると、
皆さんが普段、当たり前のように感じている感覚、感情、身体があります。
そして自分がより良くなるために、それらすべてをコントロールして、今までずっとやってきたと思っています。
過去に培った経験や、誰かの教え、親や学校から学んだことをもとに、いろんな思考を重ね、行動することで生活をしてきました。
ところがどっこい、スピリチュアルの世界では、
そうじゃないヨ。コントロールできてると思ってるだけダヨ。そんな自分は錯覚ダヨ。
と伝えます。
すべての苦悩は自分があるから、全体から分離してるから感じるのです。
感じる自分そのものがなくなれば、全ての問題は一瞬にして消える。
真実は自分がいると錯覚してるだけなんです。
だから、大丈夫。自分がいないことに気づきましょう。
ときます。
それを聞くと、
なるほどね。自分がいなくなればいいんだ。
そうだよね、自分がいなきゃ苦しみなんて感じないもんね。
そっか、探さなきゃいけないのは自分がいない状態なんだ。
と、なんだかわかったようなわからないような感じで、無理やり納得しようとするんです。
そして、じゃあどうすれば自分がいなくなるんだろう?どうやればいいんだろう?
と自分のいない世界を夢見て、必死にその状態を知ろうと、悟ろうと努力するんです。
やり方や方法、スピマスターの言葉を求めて必死に努力するんです。
自分のいない状態を探してるのが、自分なもんだから探せるわけがありません。
自分が存在しなくなったら、感じるもの、確認するもの、体感するものすらいないのだから、感じられるわけがありません。
もう堂々巡りの無限ループです。
自分が必死になって、自分のいない状態を探すんですから、本当に手に負えません。
探そうとする人がいるかぎり、探してる人、すなわち本人は永久に消えないし、なくならないんです。
探すという行為を行う者、すなわち行為者がいる限り、行為者である自分はなくならないのです。
自分がいないことに気づくとは、そういう意味ではないんです。
自分のいない状態を探すんではなくて、
行為者そのもの、何かしてると思う自分自体が錯覚だと気づくことなんです。
行為者が元々いないということに気づけたのなら、
そっか、これで大丈夫なんだ。初めから問題なんてどこにもなかったんだ。
となるわけです。そして、
「起こることが起きているだけ」
というメッセージも納得できるんです。
行為者は初めからどこにもいないんだよ。苦しんでる人も、傷つけてる人も、そこに何かをする行為者はいないんだよ。だから大丈夫。何が起こったとしても最善なのだから。
う~んそうはいっても、よくわからないなぁそんな感覚あると思います。
だから、まず自分だと認識してるそれが本当に自分なのか?というところから始めましょう。
と言いたい訳なんです。
自分だと感じてたのは何か違ってたのかも?
本当の自分はこれじゃなかったのかもしれない!?
思考や感情や身体、それをコントロールしてるのが自分じゃなかったんだ!!!
と気づけたとき、
それは自分の終わりを意味します。
そしてあなたは肉体の死すら、恐怖の対象ではなくなるのです。
自分だと思っていたのは錯覚だった。すべては創られた感覚だったんだ。
当たり前に疑うことなく自分だと思ってたのは、創られた思考だったんだ。
肉体の死を恐怖だと感じていたのは、創られた感情だったんだ。
消えるのを恐れていたのは創られた自我自身だったんだ。
そこにもう恐怖は存在しません。
創られた自我が本当の自分ではないと気づいてしまったんですから。
次回続きます。<(_ _)>