親戚の家から走り帰ったきみが見たもの…それは、
真っ白な花嫁衣裳に身を包んだサエの姿だった。
きみはその衝撃に動くことができなくなっていた。
自動車のエンジンがブルンブルンと音を立てた瞬間、われに返ったきみはあわてて駆け出した。
しかし、あと数メートルというところで、車は走り出した。
「待って!お母さん!待って!きみは、まだここにいるよー!待ってー!お母さぁーん!」
泣き叫びながら追いかけた。
学校の徒競走ではいつも一番だったきみだが、いくらなんでも自動車に追いつけるわけは無い。
次第に小さくなっていく、母の乗った自動車…
それでもきみは追いかけた。
やがて…その姿は完全に見えなくなってしまった。
行き先もわからない自動車を、探せるはずもなかった。
どれくらいの間、その場に立ち尽くしただろう。
気がつくと、空は夕焼けで真っ赤になっていた。
伯父の家でまかないを手伝っているおばさんが、きみの名前を呼びながら走ってきた。
「きみちゃん、おうちに帰ろうや。」
そう言って、きみの手を引いてうちに連れ帰った。
「こんなに遠くまで追いかけとったんねぇ…。お腹、すいたじゃろう。」
きみを心配して声をかけてくれるおばさんだったが、泣き叫んだため、しゃっくりが止まらない。
まだ信じることができない。
母は一人でどこへ行ってしまったのか。どうして花嫁衣裳を着ていたのか…
母のいない家になど帰りたくない。
けれど…きみには他に行けるところもなかった。
うちに帰ると、伯母がきみを待っていた。
「きみちゃん、お帰り。」
伯母はやさしくきみを迎えてくれたが、きみは悲しさでいっぱいだった。
「おば…ちゃん…、お、お母さん、お母さんは?どこいったん?」
「……。」
「ねぇ、お母さん、どこいったん?」
「後で伯父さんが話すから…。」
伯母は困ったような、哀れむような目をして、それ以上は話さなかった。
夜になり、伯父が帰宅すると、きみは伯父たちの部屋に呼ばれた。
「ええか、きみ。よう聞け。お母さんはな、お嫁にいったんじゃ。でもな、先方がどうしても子供を連れてこんでくれ、ということで、お前と一緒には行けんのじゃ。」
「…。お母さん、どこにお嫁にいったん?」
「それは…今は言えん。」
「なんで?!なんで言えんの?」
「お前がお母さんの所へ行ったらいけんからじゃ。まぁ、お前の足で行ける距離でもないんじゃが、もしもがあっちゃあいけんからの。お前を見たらサエも向こうになじめんようになるけぇ…。」
「きみちゃん。きみちゃんはこれまでと同じにここにおって、学校行ってすればええんよ。」
伯父夫婦がなんとかきみを説得しようと話を続けていたが、きみの耳には、もう何も入ってこなかった。
母は、自分を捨てていった。その事実だけが頭の中をぐるぐると回っていた。
あの自動車の中で、花嫁衣裳を着た母は、追いかけている自分に気づいたのだろうか。
どんな表情で乗っていたのだろうか。自分のことを…思い出してくれただろうか。
去っていく母を思い出すたびに、胸がつぶれそうになった。
それでも…もう、きみには泣く気力もなかった。
腫れた瞼は重く、開けているのがつらかった。
目を閉じたきみは、泣きつかれて、いつしか、眠ってしまった。
明日、目が覚めても…もう、母はいない。
父と死別して5年、きみ10歳。時代は大正から、昭和へと移り変わっていた…
