16年前の2008年6月14日8時43分45秒、マグニチュード(M)7.2の岩手・宮城内陸地震が発生しました。

岩手県奥州市と宮城県栗原市において最大震度6強を観測し、県をまたいだこの2市に大きな被害が出てしまい、17人が死亡、今も6人が行方不明のままとなっています。

 

 

 

 

宮城県側では、特に駒の湯温泉さんでの被害が大きかったので、当時からたびたび報道されました。

宿泊客や従業員ら7人が土石流に巻き込まれてしまい、その爪痕の大きさにショックを隠せませんでした。

 

 

こちらの「荒砥沢地すべり」は日本ジオパークに認定された栗駒山麓ジオパークのひとつとして、現在は見学できるようになっています。

 

 

 

 

 

 

空撮で見ても、その規模の大きさに恐怖を感じます。

地震発生から数年後、私は栗駒山の行き帰りのバスの中から見るだけでしたが、遠目に見てもその地滑りのあとは恐ろしかったです。

 

 

時間を戻しまして、その地震の瞬間の私は、仙台市内の人来田界隈を運転中でした。

正直、あまり揺れを感じず、山形県村山市内にある東沢バラ公園に向かう最中、路上の電光掲示板に「岩手・宮城で震度6の地震発生」という表示を見てゾッとしたことを覚えています。

当時は現在のスマートフォンのようにすぐニュースを確認できる携帯電話ではなかったので、そのままバラ公園まで向かい、園内の売店にあったテレビで被害の大きさを知ることとなります。

(携帯電話には、会社の同僚から何度か着信がありましたが)

幸いなことに、帰り道も自宅も何も被害がなく、スムーズに帰宅できたことを覚えています。

 

 

 

 

ところで・・・

岩手・宮城内陸地震は6月14日に発生しましたが、翌6月15日も過去に大きな被害が発生しました。

 

 

1896年6月15日(旧暦5月5日)19時32分30秒、明治三陸地震が発生。

M8.2-8.5の巨大地震の震源地は岩手県釜石の三陸沖でありながら、最大震度は秋田県仙北郡の震度4。

地震による直接的な被害はほとんどなかったものの、その約30分後の20時7分、最大は岩手県大船渡にある綾里湾にて海抜38.2メートルを記録する大津波が発生し、甚大な被害が出てしまいました。

この明治三陸大津波は岩手県を中心に、北海道から宮城県まで約2万2000人の命が奪われました。

 

 

 

 

 

 

同じく、津波の被害としてはこちらも忘れてはいけません。

 

 

昭和三陸地震は1933年3月3日2時30分47.6秒に、岩手県釜石の三陸沖を震源としたM8.1と推定される巨大地震。

こちらも明治三陸地震の時と同じく、地震規模に比べて揺れによる直接の被害は少なかったものの、大津波の被害が出てしまいました。

この昭和三陸津波の最大遡上高は岩手県大船渡にて海抜28.7メートルを記録し、第一波は地震から約30分で到達。岩手県を中心に約3000人が亡くなってしまいました。

 

 

そして、記憶に新しい2011年3月11日14時46分18.1秒に発生した、通称「3.11」と言われる東日本大震災が発生。

地震、津波、原発と、未曾有の甚大な被害が起きてしまいました。

 

 

 

つい先日の6月12日には「宮城県沖地震」について触れたばかりですが、宮城や岩手といったこの地域の地震や津波(海だけではなく山でも)は、私の地元だからこそ忘れてはいけない教訓だと思っています。

 

そして、日本国内においては、元日に発生した能登半島の地震しかり、いつどこで発生してもおかしくありません。

常にそのことを意識して日々の生活を送ろうと思います。