46年前の1978年(昭和53年)6月12日17時14分25秒 マグニチュード(M)7.4の宮城県沖地震が発生しました。
最大震度は、仙台での震度5(東京でも震度4を記録)。
1978年6月12日に発生した宮城県沖地震から46年です。死者28人のうち17人が、倒壊したブロック塀や石塀などの下敷きになりました。建物は7500棟が全半壊。塀や建物の倒壊をいかに防ぐか。今も大きな課題です。#大阪北部地震 #能登半島地震 pic.twitter.com/pafAZF0NJF
— 河北新報社防災・教育室/The Kahoku Shimpo Bosai Office (@kahoku_bosai) June 11, 2024
この地震が後世にも取りざたされているのは、住宅地での倒壊したブロック塀で17名も犠牲者が出たということです。
ブロック塀の老朽化や手抜き工事が被害を大きくしました。
(のちの2018年6月に大阪府北部で発生した「大阪府北部地震」では、大都市直撃のブロック塀倒壊による犠牲者が出てしまい、宮城県沖地震の教訓が生かされなかった事例となってしまいました。小学校のブロック塀が倒れたことで、女子児童の命を失ってしまった悲しいニュースが今でも目に浮かびます)
河北新報では、この「宮城県沖地震」について、「わたしの記憶」としてアーカイブをアップしました。
(60~80代以上編と40~50代編があります)
<アーカイブから>宮城県沖地震 語り継ぐ「わたしの記憶」<アンケート詳報 60~80代以上編>
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「隣のおばあさんが外に出てブロック塀の下敷きになった」(宮城県七ケ浜町・男性・自営業)#宮城県沖地震を語ろう
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<アーカイブから>宮城県沖地震 語り継ぐ「わたしの記憶」<アンケート詳報 60~80代以上編>
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「とにかく、上にあるもの、吊り下げタイプの照明器具、壁などすべて落下した」(仙台市・女性・主婦)#宮城県沖地震を語ろう
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<アーカイブから>宮城県沖地震 語り継ぐ「わたしの記憶」<アンケート詳報 60~80代以上編>
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「瓦が落ち、頭部から失血している人を見た」(仙台市・男性・無職)#宮城県沖地震を語ろう
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「ブロック塀が簡単に崩れて、命の危機を感じた」(宮城県登米市・女性・主婦)#宮城県沖地震を語ろう
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<アーカイブから>宮城県沖地震 語り継ぐ「わたしの記憶」<アンケート詳報 60~80代以上編>
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「ライフラインが使えなくなり、もらい湯(お風呂)をした事を思い出す」(仙台市・男性・無職)#宮城県沖地震を語ろう
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<アーカイブから>宮城県沖地震 語り継ぐ「わたしの記憶」<アンケート詳報 60~80代以上編>
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「停電、都市ガスが長い間止まり、子どもが幼稚園に通っていたので、お弁当を持たせるのに、大変でした」(宮城県利府町・女性・主婦)#宮城県沖地震を語ろう
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<アーカイブから>宮城県沖地震 語り継ぐ「わたしの記憶」<アンケート詳報 40~50代編>
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「停電の暗闇の中、ラジオが流れていて余震が来る度、とても怖くて不安な夜を過ごしました」(仙台市・会社員)#宮城県沖地震を語ろう
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<アーカイブから>宮城県沖地震 語り継ぐ「わたしの記憶」<アンケート詳報 40~50代編>
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「母と電車に乗っていた。目の前に立っている人が急に揺れだし、踊りだし、雪崩のように倒れていった」(仙台市・女性・パート従業員)#宮城県沖地震を語ろう
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<アーカイブから>宮城県沖地震 語り継ぐ「わたしの記憶」<アンケート詳報 40~50代編>
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「当時、中学生。友人2人と当時の自宅マンション内に滞在中だった。フローリングの床が波打ち、とっさに食器棚を押さえた」(仙台市・男性・会社役員)#宮城県沖地震を語ろうhttps://t.co/CMuk1xx4Su
<アーカイブから>宮城県沖地震 語り継ぐ「わたしの記憶」<アンケート詳報 40~50代編>
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「都市ガスがストップし、風呂に入れなかった」(仙台市・男性・無職)#宮城県沖地震を語ろう
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<アーカイブから>宮城県沖地震 語り継ぐ「わたしの記憶」<アンケート詳報 40~50代編>
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「同級生がブロック塀の倒壊に巻き込まれた」(仙台市・女性・アルバイト)#宮城県沖地震を語ろう
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<アーカイブから>宮城県沖地震 語り継ぐ「わたしの記憶」<アンケート詳報 40~50代編>
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「家の窓ガラスが外れて落下して割れていた。ブロック塀が道路に倒れて車が通れなくなっていた。夜はろうそくで過ごした」(塩釜市・女性・アルバイト)#宮城県沖地震を語ろう
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私もこの瞬間を鮮明に覚えています。
母親が買い物で不在中、祖母と一緒にしばらく自宅の柱にしがみついていました。
そのとき祖母は私の上に覆いかぶさるように。
しかし、そのあとの生活については全く記憶がありません。
停電になったのか、家の中や外で何が落ちていたのか。日常と何が変わったのか・・・
(2011年3月11日については、その瞬間もそのあとの生活もつい昨日のように覚えているのですが・・・)
2024年6月12日は、福島県伊達市(梁川)で最高気温35.2℃と、今年一番の暑さを記録しました。
地震や災害発生時でもし停電になってしまったら、この暑さ(しかも高湿)では熱中症だけではなく命の危険性も高まります。
助かる命が無駄にならないように。
宮城県では毎年6月12日を「みやぎ県民防災の日」として、避難訓練などを行うなど防災意識を高めています。