46年前の1978年(昭和53年)6月12日17時14分25秒 マグニチュード(M)7.4の宮城県沖地震が発生しました。

最大震度は、仙台での震度5(東京でも震度4を記録)。

 

 

 

 

この地震が後世にも取りざたされているのは、住宅地での倒壊したブロック塀で17名も犠牲者が出たということです。

ブロック塀の老朽化や手抜き工事が被害を大きくしました。

 

(のちの2018年6月に大阪府北部で発生した「大阪府北部地震」では、大都市直撃のブロック塀倒壊による犠牲者が出てしまい、宮城県沖地震の教訓が生かされなかった事例となってしまいました。小学校のブロック塀が倒れたことで、女子児童の命を失ってしまった悲しいニュースが今でも目に浮かびます)

 

 

 

河北新報では、この「宮城県沖地震」について、「わたしの記憶」としてアーカイブをアップしました。

(60~80代以上編と40~50代編があります)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私もこの瞬間を鮮明に覚えています。

母親が買い物で不在中、祖母と一緒にしばらく自宅の柱にしがみついていました。

そのとき祖母は私の上に覆いかぶさるように。

しかし、そのあとの生活については全く記憶がありません。

停電になったのか、家の中や外で何が落ちていたのか。日常と何が変わったのか・・・

(2011年3月11日については、その瞬間もそのあとの生活もつい昨日のように覚えているのですが・・・)

 

 

2024年6月12日は、福島県伊達市(梁川)で最高気温35.2℃と、今年一番の暑さを記録しました。

地震や災害発生時でもし停電になってしまったら、この暑さ(しかも高湿)では熱中症だけではなく命の危険性も高まります。

助かる命が無駄にならないように。

 

 

宮城県では毎年6月12日を「みやぎ県民防災の日」として、避難訓練などを行うなど防災意識を高めています。