2024年3月1日~12日「ほぼ日刊イトイ新聞」にて、羽生結弦選手と糸井重里氏の対談「いつ世界が終わっても。」が12回連載で配信されました。

 

 

 

 

 

あらためて全12回を振り返り、私ながらの感想を付け加えてみます。

(前半第1回~第6回はこちらをどうぞ↓)

 

 

 

 

第7回(2024年3月7日配信)

限られた時間の中で

 

 

 

フィギュアスケートは、まず氷がないとできない。その上練習時間が限られる。しかし、羽生選手はそれさえもポジティブにとらえています。どうやったらうまくなれるのかと考えるようにする、と。

 

大切なのは、良質な学習をどれだけ短い、限られた時間のなかでやるか。フィギュアスケートにとっては、それがすごく大事なことだとぼくは思います。

 

これは、スポーツにおいても勉強においても、仕事においても通じることでしょう。

時間だけダラダラ費やしたり、意味もなく反復することは無駄だと。それ自体ができないときはイメージトレーニングが大切ですね。

 

練習以外の時間でリセットする中で、ゲームをしたり漫画を読むことをしていますが、

それもショーに使えるかどうかと考えてしまうことは、常にプロデューサー感覚が備わっている証拠。

見ている人へのわかりやすさと、自分がこだわりたいところ、そのバランスを気にされているというのは、ゲームもモチーフにした今回の初の単独ツアー「RE_PRAY」がまさに当てはまりますね。

 

 

 

第8回(2024年3月8日配信)

10年後に見てくれた人が

 

 

 

たくさんある情報の中で消費され、埋没しないために、

 

時代に左右されないようなものは、たぶん、自分が表現したいものをどんどん突き詰めていった芯の部分に、絶対あるとぼくは思っているので、そこがブレない限りは大丈夫なのかなと思ってます。

 

羽生選手の芯は競技時代からブレずに何も変わっていないことを、十年以上見ている私にもわかります。

映像が残されることによって、100年後でも見る人が「いいね」と思ってもらえるのは、一時的な流行などではなく、どんな多様性においても心に響くということでしょう。

 

そこから、糸井さんが手がけた『MOTHER2』がちょうど30年経過していることを、ご自身と同じ1994年生まれにかけて、時代を超えて心に残っていると表現。

対談相手へのリスペクトをさりげなく盛り込むところが、羽生選手のすばらしいところです。だから、どんなに年上の方でも、その世界の一流の方でも、気持ち良く対話できるポイントなのでしょうね。

(もちろん、羽生選手がゲームオタクだからこそですが)

 

 

 

第9回(2024年3月9日配信)

ややこしいものとキャッチーなもの

 

 

 

糸井さんから、谷川俊太郎さんの「鉄腕アトム」の詩が一番知られていることに対して、羽生選手はモーツァルトの宮廷音楽を例えに出しています。

 

作家としての、表現者としての強いモチベーションがあるからこそ、キャッチーなものも生まれてくる。でも、ひとりの作家としては、ほんとうにつくりたかったものをわかってもらうほうがうれしいんだろうなあ。

 

羽生選手は表現のおもしろさを感じているからこそ、現在の競技上のフィギュアスケートだけでは物足りなさや限界を感じていたのでしょうね。(もちろん、正しく評価されなかったこともありますが)

 

これまた羽生選手のすばらしいところは、相手の話を否定はせず、まずはいったん「そう思います」「そうですよね」と受け止めて、そのあとで自分の考えを述べるところ。自然にアサーティブコミュニケーションが行われています。

 

 

 

第10回(2024年3月10日配信)

いつ世界が終わっても

 

 

 

羽生選手のアイスショーに対する考え方が冒頭に出てきます。

私は羽生選手のスケートを何年も何度も見たいことから、今までのプログラムの焼き写し的なものでもいいと思ったことがありました。

(「GIFT」のクオリティがあまりにも高かったので、これ以上のエネルギーを費やすことで、羽生選手が消耗してしまうのでは?と思ってしまったので)

しかし、それでは羽生選手ご自身がやる意味がないと思っていたのですね。

 

せっかくやるなら、来てくださった方に、お金では変えられないような、特別な体験をしてもらいたいですから。

 

そして、ここがこの対談の真骨頂。

糸井さんが最も衝撃を受けた言葉が羽生選手から出てきます。

 

糸井さんが「羽生さんは、でも、この先の時間のほうが(人生)圧倒的に長いわけじゃないですか。」に対して、

 

時代的に考えると、正直、わかんないじゃないですか。世界の情勢も不安定ですし、どんな天災がいつ起こるかわからないし。

 

特に東日本大震災を経験して、ふつうに暮らせることが当たり前ではないと。

 

いつ世界が終わってしまっても、これをやらなかったな、って、後悔はしないような生き方はしてる気はしますね。

 

さらに、この対談のタイトルになっている話が続きます。

この世に誕生してから、ずっと死に向かっていく。いつかは終わる。

 

そして、羽生選手の生き様がわかるお話が。

 

親から『勉強がおろそかになるんだったらやめなさい』って、ずっと言われていて。その延長で、中学校のときには、『人間性が崩れるぐらいだったらやめなさい』ってよく言われてたんですね。スケートに熱中しすぎて、人間としての常識がわからなくなったり、自分の価値観が崩れていくようだったら、さっさとやめなさい、って。

 

羽生選手の礼儀正しさ、周りの人への優しさや感謝の表し方などもここから来ているのでしょうね。(週刊誌ネタがいかにデタラメかがわかります)

 

 

 

 

第11回(2024年3月11日配信)

ふつうが憧れ

 

 

 

幼少からスケートの練習に明け暮れることによって、友達と遊ぶ時間が取れないこと以上に、金メダルを取るためにはふつうにはなれないという覚悟があったのですね。

だからこそ「ふつうが憧れ」と思いながら、ふつうだと自分らしくないという生活が長くなったのでしょう。

 

プロに転向し、

 

いまぼくはルールが設定されてないところにいるというか、むしろ『ふつうじゃなくていい』という表現に向かっているんですよね。

 

ふつうを求めてくる人(「RE_PRAY」以前、私もそんなところがありましたが)に対して、このジレンマがあるのでしょうね。

 

感動できるものはつくりたい。けど、わかりやすい「結果」としての感動はそこに入れることができない。そういう意味では、「結果」に感動するのってふつうなんでしょうね。

 

 

 

第12回(2024年3月12日配信)

ゲームがあってよかった

 

 

 

幼少からスケートの練習に明け暮れたからこそ、ふつうの少年の感覚としては、勇気を持って踏み出すこと、仲間の大切さなど、ゲームを通じて「人生」を学んだのですね。

 

また「ゆとり世代」は一般的にマイナス面ばかり取り上げられますが、実際のゆとり世代の人々を見ると、成功者はもちろんいます。

 

けっきょく、その人が、人間として持ってるものがどこにあるのか。そしてそれが活かされるような社会であればいいのかなって。

 

どの世代が、というのではなく、「大事なことは自分で考えて決めていくこと」なのですね。

 

羽生選手は「末っ子はミラーニューロンが強い」とお話を締めていますが、私事で言うと、確かに末っ子は、兄姉の言動をよく見ていましたね。ただし、私の場合は兄姉を超えることができませんでしたが、これをやってはダメだということだけは学ぶことができました。

 

 

 

 

最後に、羽生選手はどのジャンルの第一人者の方とでも、対等にお話しできる準備や能力があると思います。(もちろん、羽生選手ご自身が超がつく第一人者ですが)

ご本人は緊張されるでしょうけれども、周知の部分をより引き出されたり、また新たな一面を見せてくれたり、羽生選手の思考の奥深さが垣間見れる機会なので、今後もいろいろな方と対談してほしいですね。