仙台育英学園高校野球部の皆さん、全国制覇おめでとうございます!!!!

 

「白河の関越え」は東北の人間にとっての悲願

私自身も一宮城県民として、一東北人として、どれほどこの時を待っていたか。

 

今回、「白河の関越え」について多くのメディアが取り上げていますが、それ以前は「『白河の関越え』って何?」という方もいたので、私は逆に「え?知らない人もいるの?」と驚きました。

 

 

 

 

そもそも「白河の関」とは

 

古くからみちのく・奥州・東北の玄関口として知られています。

奈良時代に蝦夷(えみし)に対する砦として、下野(しもつけ)から陸奥(むつ)に入る入口に置かれていた関。

しかし、平安時代の8世紀頃には廃止され、しばらく正確な位置は不明でしたが、白河藩主の松平定信は現在の白河市旗宿(はたじゅく)に確かにあったと認定。

昭和30年代の発掘調査によって、間違いなく白河の関であることが証明されました。

また、常陸の「勿来の関」、出羽の「念珠の関」と共に奥州の三関のひとつでもあります。

 

場所は不明でも、長らく陸奥への境界として受け継がれ、「歌枕」として平兼盛や能因法師、西行など数多くの古歌に詠まれています。

 

松尾芭蕉も「おくのほそ道」で

白河の関にかかりて旅心定まぬ

あこがれていたみちのくの入り口に立っている。興奮せずにいられるか、と表現しています。

 

 

このように、古歌の世界では歌枕がたくさんあるみちのくに対して、都人はあこがれを持っていたのですが・・・

 

 

 

(写真はいずれも2009年4月撮影)

 

 

時は流れて、

江戸幕府に忠義を尽くした会津藩を助けるべく、奥州越列藩同盟として仙台を中心にひとつとなった奥州は新政府軍と戦うことになります。

しかし、この戊辰戦争で敗れて「賊」扱いされた奥州は、明治政府から劣悪な対応で虐げられます。

まさに勝てば官軍。

 

白河以北一山百文」とは、白河から北の地域、つまり東北地方は「一山百文」程度しか値打ちがないという言葉も生まれました。

これは東北人にとっては屈辱の意味です。

だからこそ、翻って、東北人の不屈の精神は培われてきたのでしょう。

 

 

 

そして、さらに時は流れて、

高校野球においては、冬の間にまともな練習ができない東北地方の高校球児を苦しめてきました。

実際、甲子園での1回戦の対戦相手を抽選で決める際、相手が東北6校の代表校に当たるとわかった途端、喜ばれたりガッツポーズをされたりしました。

(これは確実に「1回戦は勝てる!」とバカにされていたのです)

 

 

107年という高校野球の歴史の中で、東北勢が決勝戦まで進んだのは春夏あわせて13回。

 

その中で私が明確に覚えているのは、

 

1989年夏の仙台育英vs帝京(東京)。0-2

仙台育英の大越基投手の勢いをいまだに忘れません。

その大越投手でさえ、この時代はまだまだ東北出身ということを下に見られた経験をしているそうです。

たまたまこの決勝戦は、都内の姉の家でTV観戦をしていました。

まわりは帝京を応援しているアウェイの環境で負けた悔しさは、もともと高校野球ファンの私の中で「深紅の大優勝旗がいつか白河の関を越えてほしい」という思いを強くしていきました。

 

その後、2003年夏のダルビッシュ有投手率いる東北(宮城)vs常総学院(茨城)。2-4

大阪出身で数あるスカウト先から東北高校を選んだダルビッシュ投手さえも、苦杯を喫しました。

 

2009年春には菊池雄星投手率いる花巻東(岩手)vs清峰(長崎)。0-1

 

2015年夏の佐藤世那投手率いる仙台育英vs東海大相模(神奈川)。6-10

 

そして、記憶にまだ新しい2018年夏の吉田輝星投手率いる金足農業(秋田)vs大阪桐蔭。2-13

公立の雑草軍団と言われ「金足農旋風」が席巻しましたが、最後の吉田投手の涙も忘れられません。

 

ここまでは、ほとんど主戦投手が一人で投げ抜くスタイルだったので、連日のように試合が続く全国大会は投手の負担が大きいです。そこから球数制限ができたくらい。

 

 

しかし、

 

皆さんおわかりの通り、例え甲子園で優勝しなくても、出場さえしなくても、いまや東北出身からは大谷翔平選手、菊池雄星投手というメジャーリーガー、令和の怪物と言われる佐々木朗希投手など、世界トップ級の選手がいます。

新しい時代が到来したのですね。

 

 

今大会の仙台育英の戦略を見ても、

投手陣の層の厚さで効果的に継投

ここぞ!というタイミングでの盗塁やバントを絡めた攻撃

今までの闘い方とスタイルが変わってきました。

 

 

野球からまた少し離れますが、

私が就職して、都内で新入社員研修を受けている際、

「東北人なのに(言葉が)なまっていないんだね」と言われたこと。

会社の先輩から「田舎者」と言われたこと。

心の片隅でずっと引っかかっていました。

 

また、東日本大震災で甚大な被害があったにも関わらず、とある元大臣が

「(大地震が)まだ東北、あっちの方でよかった。」という発言がありました。

しかも“復興大臣”という立場だったので言語道断。

その世代の人は東北を下に見ているんだ、と私自身は怒りと悲しみがこみあげました。

 

 

そんな苦渋をなめてきたのが東北人なのです。

 

 

「すでに北海道には深紅の大優勝旗が渡っているのだから、津軽海峡越えできているのに、なぜ『白河の関越え』をいまだに言うの?」

という東北以外の方に、少しでも知ってほしいと思い書いています。

 

 

こんなに重い期待やプレッシャーは試合前の選手にはかけたくなかったので、仙台育英が優勝した後なので書いていますこと、ご了承ください。