2018年2月に開催された平昌五輪。

今振り返ってみても、始まる前までのワクワクドキドキという期待感と、ケガの状態への不安感がいかに大きかったことか。

日本中が、いや世界中が見守っていたに違いありません。

 

 

2017-18シーズン。

初戦となるオータム・クラシック。羽生選手はショートでは自らの最高得点を塗り替える112.72点の世界新を記録し、首位発進。しかし、フリーでは精彩を欠いて銀メダル。

グランプリシリーズ初戦のロシアでは、フリーで自身初挑戦の四回転ルッツを成功させるも、ショートの出遅れでまたしても銀メダル。

さあ、次こそは!!と日本開催のNHK杯では、公式練習中に回転ルッツで転倒し、その際に負傷した右足首の状態が芳しくなく、「右足関節外側靱帯損傷」との診断で欠場。

なんと、平昌五輪3ヶ月前の衝撃でした。

 

羽生選手はトロントに戻り、治療に専念するものの、骨と腱にも炎症があるなど回復が遅れてしまい、練習を再開することができず全日本選手権も欠場となってしまいました。

しかし、現世界ランキング1位などの規定に沿って、平昌五輪代表に選出されました。

 

 

ここから・・・

羽生選手に関する情報が途絶えてしまいます。

ケガの状況はどうなっているのでしょう。どこまで回復しているのでしょう。

ファンとしては耳を疑いたくなるような嫌な憶測も飛び交いましたが、関係者はかん口令を守り通しました。

 

 

 

そして、運命の2018年2月。

11日に現地入りしてからは、羽生選手の強気のコメントが続きます。

まだ日本勢が金メダルを獲得していない時点で、記者から聞かれると「誰が(金メダルを)とろうが、僕もとります」とキッパリ断言しました。

あのときの確信に満ちた表情と言葉。いったいどこからその自信が溢れてくるのかと思ってしまうほど、内容の濃い練習ができて順調な仕上がりになっているのでしょう、と誰もが安心したかもしれません。

 

2月16日、男子シングル個人戦のショート。

全てのジャンプを完璧に決めます。特に、トリプルアクセルは審査員全員からGOE満点の評価を得ました。

自己ベストに肉薄する111.68点をマークし首位発進となり、ああ、もう足のケガは回復しているんだ、と勘違いしてしまうほどでした。

 

そして翌17日のフリーでは、冒頭からジャンプをバシバシ決めていきます。もしかしたらパーフェクトな演技を見ることができるかも、と思えるほど。

しかし、演技後半の体力は?と思っていた矢先、四回転トーループでのミス(その後リカバリーしました)、最後の三回転ルッツ(いわくつきのルッツ!)は体勢を崩しながらも着氷し、大きなミスはひとつにおさえる内容で終了しました。

 

結果は、二大会連続の金メダルを獲得し、ディック・バトン以来の66年ぶりの連覇達成ということで大きな注目を浴びました。

 

そんな快挙を達成した後で、驚く事実が発表されました。

「痛み止めなしでは3回転ジャンプすら跳べなかった」という右足首の状態の悪さ。

 

この三ヶ月間、どれだけの不安と戦い、向き合ってきたのでしょう。

 

連覇にいたるまでのこの4年間、羽生選手は怪我や病気が続き、相当苦しんできました。

しかし「もし何もなくうまくいっていたら、たぶん金メダルをとれていなかった」とし、度重なるさまざまなアクシデントから学んだ経験を生かせた結果だと語りました。

 

(読売新聞社東北総局前に掲示されていた号外)

(クリスロード商店街)

(仙台市役所)

(目立たないですが、宮城県庁)

(アイスリンク仙台)

 

 

国内外で、羽生選手に対する称賛が相次ぎました。

本当に仙台をはじめ宮城県、東北地方では羽生選手をますます誇りに思うようになりました。

 

 

そして、2018年4月22日は二回目の凱旋パレード。

やはり生まれ故郷の仙台での開催と、羽生選手が選んでいただきました。

前回もお天気でしたが、今回は夏が来たような暑さと強い陽射しで、太陽まで歓迎しているようでした。

しかし、祝賀セレモニーが始まる瞬間、さわやかな風が吹き始めました。これも羽生選手に味方したのでしょうか。

108,000人と発表されましたが、実際はそれ以上いたのではないでしょうか?

パレードの会場となった沿道1.1kmはもちろん、その東二番丁通り沿いのビルやマンションにも、人・人・人。

それでも、羽生選手は360度に気を配り、手を振ったりポーズをとったり、終始笑顔で対応していただきました。

私は祝賀セレモニーを目の前で拝見したあと、前回同様パレードカーの先回りをして、数ヶ所で羽生選手に感謝をお伝えしました。

 

 

(「#羽生結弦の写真撮るの下手くそ選手権」が一日中トレンド入りするほど、Twitterで話題となりました。私も負けてはいません)

(パレード数日前から目立っていました)

(今回はTシャツ2種類とラバーバンドが、パレード費用分として発売されました。Tシャツには「羽生結弦選手原点の地 仙台」のパンフレットも封入されていました)

(確か、自宅の新聞にも同封されていた記憶があります)

(読売新聞社東北総局前に掲示されていた号外)

 

 

右足首のケガとは依然としておつきあいしながら、五輪二連覇を達成してもなお更なる進化を求め、羽生選手は現役選手として挑戦し続けています。

その姿に、またまた仙台、宮城、東北地方では勇気と希望を頂戴しています。

羽生選手、本当にありがとうございます。引き続き応援します。

どうか健康にはお気をつけて。