前回からの続きを書いていきます。
私が中学校、高校と不登校を繰り返し、高校1年の夏休みが終わり2学期が始まる頃には高校を休むようになり、結果的にそのまま家に引きこもるようになりました。
それから2年間家に引きこもり誰とも会話もせず、ただひたすら布団にもぐりこんで過ごしてい、あした。
毎日が生きているのか死んでいるのか分からない将来に希望もなく死ぬことだけを考えながら生きていました。
2年の月日が流れ引きこもっていた私の元に中学の恩師が訪ねて来るようになりました。
毎日のように恩師は私の家に訪ねてきては私の部屋のまえでいつもいろんな話しをして少しでも私との接点を作ろうと努力していました。
その恩師の姿勢に、いつしか私も心を開いて話をするようになりました。
その恩師の紹介で、北九州にある津屋崎病院を紹介され、その病院に1年間入院をしながら心のケアをしていきました。
津屋崎病院は、当時NHKからも取材を受けたり、武田鉄矢の金八先生の最初の頃のロケ現場にもなって、全国的に有名な思春期外来として当時話題になった病院でした。
その病院で下は13歳から上は33歳までの不登校児を中心とした男女合わせて40名ほどの若者が全国からその病人に入院して心のケアを受けていました。
その病院では毎週1回ドクターと入院しているみんなでディスカッションしたり、行動療法で散歩やソフトボールやバレーボールなどのスポーツも定期的に開催さて任意で参加をするようになっていました。
1年間の入院生活を通じて、自分と似た境遇の不登校の体験をしている仲間と一緒にお互いの悩みや苦しみを話し合ったりしていくうちに、俺だけが苦しんでいるんじゃないんだ。
みんな似たような苦しみや悩みを抱えていることを仲間を通して客観的に見れるようになってきたとき、自分も同じ悩みや苦しみが客観的に見れるようになっていきました。
そうして自分の心の葛藤や苦しみは癒されてきて、次第に再び勉強をして大学を目指したいと考えるようになりました。
私は、1年間の入院生活を終えて退院してから熊本に帰って、地元の定時制高校に入学をして4年間昼は郵便配達の仕事をしながら、夕方6時から定時制高校でとる9時まで毎日勉強して大学進学を目指すようになった。
続きは次回へ
私が中学校、高校と不登校を繰り返し、高校1年の夏休みが終わり2学期が始まる頃には高校を休むようになり、結果的にそのまま家に引きこもるようになりました。
それから2年間家に引きこもり誰とも会話もせず、ただひたすら布団にもぐりこんで過ごしてい、あした。
毎日が生きているのか死んでいるのか分からない将来に希望もなく死ぬことだけを考えながら生きていました。
2年の月日が流れ引きこもっていた私の元に中学の恩師が訪ねて来るようになりました。
毎日のように恩師は私の家に訪ねてきては私の部屋のまえでいつもいろんな話しをして少しでも私との接点を作ろうと努力していました。
その恩師の姿勢に、いつしか私も心を開いて話をするようになりました。
その恩師の紹介で、北九州にある津屋崎病院を紹介され、その病院に1年間入院をしながら心のケアをしていきました。
津屋崎病院は、当時NHKからも取材を受けたり、武田鉄矢の金八先生の最初の頃のロケ現場にもなって、全国的に有名な思春期外来として当時話題になった病院でした。
その病院で下は13歳から上は33歳までの不登校児を中心とした男女合わせて40名ほどの若者が全国からその病人に入院して心のケアを受けていました。
その病院では毎週1回ドクターと入院しているみんなでディスカッションしたり、行動療法で散歩やソフトボールやバレーボールなどのスポーツも定期的に開催さて任意で参加をするようになっていました。
1年間の入院生活を通じて、自分と似た境遇の不登校の体験をしている仲間と一緒にお互いの悩みや苦しみを話し合ったりしていくうちに、俺だけが苦しんでいるんじゃないんだ。
みんな似たような苦しみや悩みを抱えていることを仲間を通して客観的に見れるようになってきたとき、自分も同じ悩みや苦しみが客観的に見れるようになっていきました。
そうして自分の心の葛藤や苦しみは癒されてきて、次第に再び勉強をして大学を目指したいと考えるようになりました。
私は、1年間の入院生活を終えて退院してから熊本に帰って、地元の定時制高校に入学をして4年間昼は郵便配達の仕事をしながら、夕方6時から定時制高校でとる9時まで毎日勉強して大学進学を目指すようになった。
続きは次回へ
