4月14日の最初の地震が一旦おさまりかけた翌朝、私は家族と一緒に非難していた中学校から自宅へ帰り、余震が続いてはいても、これ以上は強い地震は来ないと信じて家の中の片付けをして、いつものように食事を食べたり夜お風呂に入って午後11時には布団を敷いて寝ました。


日付けが変わり16日の夜中1時30分頃に突然、
ゴーーーという地鳴りがしたかと思って目が覚めた瞬間、ドーーンと突き上げる激しい縦揺れがあって次の瞬間ガタガタと激しい横揺れになって、一気にすべての部屋のすべてのタンスが倒れてきて一瞬にものがあちこちに飛んで散乱するのをただ怖さと激しい横揺れで私自身の身体も倒れたタンスの下敷きになり暫く身動きが取れないまま、
その場にうずくまっていました。

その間は街中が停電して部屋の中も電気が使えなくて真っ暗の中で、ひたすら激しい横揺れに立てない状態で、何とか自分の身体に意識を向けて少し冷静さを持ちながら、何とか倒れたタンスが向かい側のタンスにあたり私の身体はタンスの直撃を免がれて隙間から身体を抜け出して、這い蹲りながら、部屋の外へ自力で家族と一緒に逃げ出すことができました。

マンションの外へ家族と一緒に逃げ出した後、再び近くの中学校へ非難しそこで激しい横揺れの余震を感じながらも非難所で夜を明かしました。

非難所には2000人以上の人々が非難してきて、中学校のグラウンドには車で埋めつくされ、あたりに非難した人々で騒然となりました。

この日から私は自分の車の中で10日間の車中泊がはじまりました。

家族は中学校の校舎の中で寝泊まりを続けていました。

非難所には飲み水や食べ物がほとんどなくて、大変な状況で支援物資が何故かなかなか届かず、行政の対応も遅れて、個人のボランティア活動をされている方々が真っ先に他県から車やトラックで支援物資を届けにきても、行政の職員の方がたまたまその時、僅か数時間滞在している中で非難所の現状も把握しないまま、うちは物資が足りているから他所に行きなさいと勝手な判断で必要な支援物資はことごとく追い返されて私たちは飲み水も食べ物もほとんどなくて、一人ひとりにおにぎり一個と紙コップに冷えたスープを一杯だけで5日ほど過ごしていました。


車中泊も5日間を過ぎる頃から全身が痛くなり、身体がきつくて眠れなくなって、だんだん心まで
弱気な声に自分が負けて自分の孤独感と一緒になって、もう自分がすべてダメだ何も出来ない、もうすべて終わりだ、と諦めかけて自分を見失いかけていました。


この続きは明日へ