お早うございます,たつクンです。
朝から元気よくセミが鳴いている,北山です。
さて,今回は先日19日に行われた「防災ワークショップ」について,長くなるかもしれませんが,その企画目的を書いておきたいと思います。
そもそものきっかけは,大学のゼミで「国民保護法」という法律を扱っていた時に,「これでは有事の際に,国家は国民を守れない」と思ったことにあります。「国民保護法」は,テロや戦争といった有事の際にどのように国民の生命・健康を守るかを定めた法律ですが,その骨格は国⇒都道府県⇒市町村⇒住民という指揮系統によって構成されています。よって,地方首長や住民の自主的な判断に基づく行動というものは原則として認められていません。その理由は,個々人の判断に任せることによる混乱を生じさせないためです。しかし,これでは国からの指示がない限りは,地方首長は現場での判断を行動に移すことができず,住民を避難させてその生命を守ることができません。有事が起こっているのは実際の場所であり,その現場を熟知しているのは当該地方の首長であり住民であり,身の危険が迫っているのは当該地方の住民なのだから,地方首長及び地域住民の判断をもっとも尊重すべきだというのが個人的な意見です。もちろん,そのために国は,正確な情報をいち早く地方に公開する必要があります。とすれば,有事の初期段階における国の役割というのは,地方へ指示を出すことではなく,地方への情報公開に徹することではないのか。指揮系統は,住民⇒市町村⇒都道府県⇒国というボトムアップ方式を採用すべきで,これとは逆のボトムダウン方式を採用する「国民保護法」では住民を守りきれないのではないか。また,原子力災害の対応策についてもあまりにも不十分であり,「マスクをつけて背をかがめて行動し,建物に入る際には衣類についた放射線を手で払い落す」などと,花粉対策レベルの防護策しか講じ切れていない。こうした法律の不備について考えるうちに,「災害から住民の生命をどのように守るか」という問題に対する関心が高まってきました。そもそも住民は,自主的な判断に基づく行動をとることができるだけの,災害に関する正しい知識や経験をもっているのだろうか。
こうした疑問を解消するヒントとして,「自分のことは自らが責任を持って判断して行動する」ことが生活の上で大事なのではないか,そのために自分にできることは何があるだろうか。もしかすると,防災に関する教育にもっと力を入れて次世代の子どもたちを育てて,結果として自立することのできる地域・住民をつくっていくことがその解答になるのではないのか,ということに行き着きました。それが,ウィッツの教育理念である「意育」につながり,私が本校で働くきっかけになっています。
テロや戦争といった人災にしろ,地震や津波といった自然災害にしろ,いったん災害が起こった際,その後の生活再建のためには「避難所生活」というものが切っても切り離せない関係にあると思います。他人同士が1つの場所で共同生活を強いられることの混乱は,そうした経験のない自分にも容易に想像がつきます。だからこそ,普段からその経験をしておくことや,経験を通して考えることを怠ってはいけないのだと思います。経験を積むことで,辛すぎる現実を少しでも緩和する要素がより多く見付けられるかもしれません。生きる力や人間力といったものも体得することができると思います。
こうした理由から,今回「防災ワークショップ」を企画し,「HUG」を通じて避難所生活の問題について考えてもらう機会を設けました。話が大きくなりましたが,口頭ではなかなか上手に伝えられないため,長々と書かせてもらいました。災害はいつ起こるかわからず,起こった際には個々人の人間力が問われます。「有事の際に役に立つ人間になりたい」というのが私の願いで,そのための活動を地道に続けていきます。皆さんにとっても役に立つ楽しい学びの機会を提供したいと思います。