アジサイがすがれ、色が白からピンク、青になりうす緑からから赤になってきました。


桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)

いつもなら、この文の日(文月2ふ3みの日)の連休前後
もしくは9月の秋分の日の連休に
会津に墓参するのですが
何年かぶりに会津にいかない夏になりそうです。



曾祖父母に手を合わせられず無念
先週のお盆は北を向いて心で語りかけました。




福島民報で猪苗代湖畔の旧高松宮翁島別邸(県迎賓館、鏡文閣)
の庭にヤマユリも見頃と出ていて
ピンクのオトメユリもさぞ
とお墓参りがついでになる観光にも
ちいさい人たちを連れていきたかったのに無念

ですが、家族と自分
また会津の人の指定感染症からの安全の方が今は大事
死んだ人間も墓も百合も
来年も再来年も会津にいるので
今は蟄居しております。



そして、大好きな梅雨の時期ですが
傘をさすのが億劫で昼休みの散歩が雨で滞りがちだったため
フラットの4K対応の電気工事のために片付けた好きだった古い雑誌をめくっていると
江國香織が妹の晴(旧字体、青は月ではなく円)子さんとの往復書簡で
晴子さんの自宅に居た犬が亡くなったそのときの様子が
あまりに祖母の家の犬が死ぬときと同じだった
(息が苦しそうになり夜じゅうそうしていて、
朝方にはっとなり死ぬ、
絶対彼を玄関のたたきのから上ににあげなかった祖父も問答無用で、居間で祖母と伯母と
朝方までみまかるのを(わたしはうとうと寝ながら)みていた)
のと、その後の江國が西洋絵画に描かれた大鹿や
ウサギやらの憂鬱質、多血質、胆汁質、液着質の話と
私たちはみんな骨になるのだから、立派な骨になりましょう 
かあさんも納骨しないとね
ということばが深く染み入りました。


そして、同じ雑誌の違う号ではほしいなと思っていたひかりのくに昭和出版
(いまはひかりのくにに商号変更)の
昆虫図鑑が二冊、目に入り
くしくも誕生月だったこともあり、
自分のために贈り物を自分でしてやろうと
神戸新開地のロードス書房様からご丁寧な案内をいただいて
その日の昼には携帯電話のキャリア決済で購入

ついでにずっとほしかったのに品切だった北隆館の少年動物図鑑も3年前手に入れた牧野富太郎の少年植物図鑑と同じシリーズで
名古屋の古本まゆ様から購入



なかの絵は当時の印刷技術が少し残念ですが
画力が素晴らしい当時の動物植物昆虫に愛のある画家たちの力作で
(北隆館のもの、中をお見せしたいですが、牧野くんの著作権が死後63年でまだきれてないのと、
両方まだある出版社なので利権がわからないため、表紙のみアップします。)

特に、ひかりのくに昭和出版の新採集図鑑と学生ポケット図鑑は
横長の形態の見やすさ、蛇腹の経本折りの製本の見やすさ
中身は今の小学館や学研の大判の図鑑よりも
採集することや観察するための体長や出現時期、収集したあとの処理や全国の収集できる地域の紹介
素晴らしい図鑑で
梅雨が終わるのは残念ですが
夏になったらちいさい人と山にいきたくてたまりません。
まだスリップもはいっていて、美しい本ですが観察にちいさい人が使ってこそと思って大事に携帯して散歩したいです。
ちなみに先日のポケモンのハッピーミールは拡大鏡が出たのでみんな「げきかわ」と大興奮でした。





私事で恐縮ですが
誕生日当日は家で仕事をしていたため
仕事人生で初めて宅急便と郵便小包を自分で受け取り
心あたたまるお祝いと、何より嬉しいみんなの手書きのカード
(ちいさい人の文面のかわいさ!!!!!)
に当日は多忙で深夜日付変わるまで仕事をしていましたが、とても幸せでした。



昆虫図鑑の載った雑誌は尊敬する翻訳家の石井桃子の特集号で
くしくもですが、石井さんが敗戦の日に農業を始め心を独立させた年であり
同じく尊敬している女優の黒柳徹子がテレビの仕事を休んでニューヨークに留学に行った年齢になりました。
(以下画像黒柳さんInstagramよりスクリーンショットで拝借)
ひらけるこれからに期待して新しい世界を新しい年齢で歩いていこうと思います。




以下嫌いな人はスクロールしないでください
最後にみつけた昆虫の写真連続投稿します































うつくしすぎるセミの羽化
雨に濡れていたのでフラットに連れ帰りました。

羽化直後は同定できない
あ、図鑑の中を写していた写真でした。
指摘があったら上の写真は削除いたします。





だんだん茶色くなってくるときに背面に金の産毛がひかる!


三時間経ったらふつうのアブラゼミでした



ななほしじゃない、ふつうのテントウムシ


蟷螂はカマキリ、お祈りするようにしているくせに残忍なハンター

触覚がまだらなのが、特徴的

たのしすぎて、
ちいさい人が近くにいない時は
帽子マスクでしゃがみこむ完全な不審者
素敵な女性になるのと不審女は両立するのか(反語)