(最強大食い女王決定戦前日の7月1日、東京都庭園美術館の森で)

 

 

おはようございます。

 

先日、文学者の忌日を河童忌(芥川龍之介の忌日 7月24日)から検索したときに、

 

「せんべろ忌」

 

という忌日を知りました。作家・中島らもさんの忌日でした。らもさんは52年生まれで、

52歳の2004年に亡くなっています。52年生まれというと中島みゆきさんとかさだまさしさんとか河島英五さんとか、

ピーターとか、夏木マリさんとか、楠田枝里子さんとか…気のせいですか?すごくパワフルな人々の生まれた年のような気がします。

 

いつのまにからもさんの享年も越えてしまったなー。

 

次は澁澤龍彦さんのドラコニア忌が8月5日ですが、シブタツの享年59歳も越えてしまいそうな気がします。

長生きする予定の人生じゃなかったのに! 14歳の頃は30歳以上の自分なんか想像もつかなかったのに!

 

という気持ちを大人になっても忘れない私(笑)。人の顔は覚えられないし、記憶力勝負の勉強はアジャパーだったのですが、

感情にかかわる記憶は2歳からぼちぼち残っています。保育園の給食前のお遊戯の記憶ですね。早く食べたいのになー、と毎度毎度思っていました。食べる前のお預けの儀式が超ムカついた。

 

ちなみに、お肉をきっておネギを刻んで、お鍋に入れて、いただきまーす。

 

という大人にとっては一瞬で終わるような、おままごと付わらべ歌みたいなやつでした。

これを2歳児にやらせる意味がまったくわからない。いまだに思い出すとムカつく。

0歳児~2歳児までは赤組(赤ちゃんクラス)だったのですが、当時からおなじ学年の子より体が大きかったので、まわりは明らかに小さな子ばっかりだ。こんな赤ちゃんクラスで赤ちゃんみたいなことをやらされて…という屈辱とまでは感じていないけれど、居心地の悪さのようなものもあった気がします。まだ自分の感情に名前を付けられるほど語彙力も表現力もないわけで、ムカつくと感じるのはいまの私ですが、当時の自分はいいようのない、明らかにうれしくはない感情を味わっていたわけです。

 

しかし、その記憶力が勉強に活かされていれば学校ももっと楽しいところだったでしょう。

私の能力はすべて無駄なところで大活躍! 

 

中島らもさんは歯科医の次男として生まれ、とびきり優秀な子どもだったそうで、名門・灘中に4番だったか5番で入り、俺より頭のいいやつがいるのか、とびっくりした、とエッセイで読んだ気がします。あまりにかけ離れていてその心情を察することもかすることもできませんが、

 

舌が厚いのか長いのか、らもの牛しゃべりと呼ばれるくらい、もったりした喋り方だったという点に親しみを抱きます。

私も舌が長くて、巻き舌もできないし、滑舌もあきらかに最悪です。学術優秀な子どもでも何を言っているかわからないと始終言われて腐っていたであろうと勝手に想像して親近感を抱いてしまう私です。仲間が欲しいんだね!

 

暑い日が続きますが、体調管理に気を付けて元気でいましょう。

 

ではきょうもよい一日を♪