『一度きりの大泉の話』を読んだあと、首までマンガに浸っていた子ども時代を思い出して猛烈にマンガが読みたくなり、


ちばてつや先生の『ちばてつや追想短編集』と『ちばてつや自伝 屋根うらの絵本かき』を買って読む(なぜちばてつや先生…)。『屋根うらの絵本かき』はずっと読みたいと思っていたのですが、twitterで『追想短編集』の一部が掲載されていたので、この際と思ってAmazonで取り寄せたわけです。

藤子不二雄A先生のマンガで描かれていたエピソードがちばてつや先生の方から読めて、大変な大怪我だったのですが、よかった。「ともがき」というタイトルの短編です。




前編の扉のちばてつや青年が後編の扉ではトキワ荘のマンガ家仲間の中に戸惑いながらもいて、マンガを読み終わった後にじわじわ効いてくる絵で上手いなあと思います。


「トモガキ」は缶詰旅館で原稿を描いていたちばてつや先生がガラス窓に突っ込んでマンガ家生命も危ぶまれるほどの悲惨な大怪我を負い、描きかけの原稿を編集長自らトキワ荘に持ち込み、トキワ荘のマンガ家たちに仕上げを頼み込んだというエピソードと、そこから始まった交流が描かれています

ってなぜ萩尾望都先生の本からちばてつや先生を読むのか。

もちろん萩尾望都先生のマンガで読んでいなかった作品と対談集も取り寄せ中。


ほかのエッセイやインタビューで繰り返し出てくるのですが、とにかく萩尾望都先生はマンガをよく読みよく分析して楽しんでおられる。

『一度きりの大泉の話』ではなく、雑誌の特集だったと思うのですが、この作品を〇〇さんの絵で描いたら、と楽しく空想し、1冊のマンガ雑誌を何回も読んで飽きない、そんなエピソードを読んだことがあります。

なんか北島マヤちゃんみたいだなあと思います。ずば抜けた天分を持ちながら、演劇コンクールに行けば(自分たちの劇団も出演するのだが)、すっかり夢中になってしまう。ほかの団員が食傷気味、というのに対して、あたし幸せ、と本心から言う。

同じシチュエーションでまったく違う物語を即座にいくつも思いついて、完璧に演じてしまう。


美内すずえ先生から、『ガラスの仮面』の「ふたりの王女」の話を聞いた萩尾先生は、

妹が姉の王女をそんなに苦しんでいるなら、と殺したら?と提案するが(萩尾先生はけっこう躊躇いなく登場人物を殺す)、

美内先生は姉は妹を解放し、一人煉獄のような孤独に身を置き続けるあのラストシーンを描き上げる。タイプは違うけれど、萩尾先生も天才だけど美内先生も天才だなーと思う。

ということで話はまとまらないわけですが、

読んでいないマンガがたくさんあって、誰にも読むことを止められたり叱られたりしないのはなんて幸せなんだろうと思います。

『ちばてつや自伝 屋根うらの絵本かき』の「ーーと、ぼくは思います‼︎」にこめられた表現の規制への恐れと拒絶は『一度きりの大泉の話』にも繋がってくることだなあと思います。


『大泉の話』の中で原作ものについての萩尾先生の考えと「ハワードさんの新聞広告」(イケダ・イクミ原作)も収録されています。

ちばてつや先生の本でも梶原一騎(なぜか先生は似合わない)との『あしたのジョー』について、その出会いや力石の死とその反響が描かれており、

一見まったく違うタイプの作家なのに、考え方に似たところがある気がします。