きのうは北上市の利根山光人記念美術館からの流れで、北上駅西口のコンコースの大陶壁画を見に行って、
ついに鬼の館へ。鬼の館は愛読している益田ミリさんの『47都道府県女ひとりで行ってみよう』にも出てきたなーと。
 
 
想像していたよりずっと立派な建物でびっくりしました。
庭が広く、そこかしこに赤い土でつくられた小鬼たちがいます。
 
 
 

 

 
ホールにある鬼の面。カラフルで楽しい。鬼って鬼の面で表現されることが多いなあと思いました。
 

 

 
受付のカウンターの壁にも水木先生の色紙が飾ってあるのですが、できたら展示室に飾ってほしいなあと
強く思いました。鬼太郎は妖怪パパと幽霊ママのハーフですが、「鬼」の名前ですし。
 
展示の最後の方に現代百鬼夜行の絵巻があったのですが、行列の中にちゃっかりねずみ男が混じっていて吹き出しました。
 
見て楽しいというのがいちばんですが、鬼の定義ってなんだろうということを
考えさせられる深い展示でした。

 

展示室はこんな感じで、照明を抑えた中で鬼の展示が赤と黒をメインにした壁面に

映えています。

 

 
とにかく鬼の面が多くて、鬼とは面なんだなあと思わせられました。
 

 

鬼について、鬼の祭りや鬼の伝説など、いろんな視点からまとめた展示がいくつもあり、
それも興味深かった。

 

成田亨さんの「鬼幻影」。

 

青森県立美術館の「成田亨展」でも見たはずですが、その時に鬼の館に行ってみようと思ったのに

すっかり忘れていました。また、青森県立美術館の常設展示で、5月9日まで「鬼が来た」の特集展示があったことを

きのうになって知り、「富野由悠季の世界展」に行ったときになぜ見てこなかったのかと痛恨。

 

 

という痛恨含みで見る、成田さんのレリーフ作品はやっぱり表情や顔立ち、ポーズが成田さんらしいなあと思いました。
 
 
 

 

 
岩手県立博物館でも展示されていた「スネカ」もいました。岩手の沿岸のなまはげでして、
こたつにあたってばかりいる怠け者の火跡(こたつでできた低温火傷の赤くなった皮膚)をもっている鉈で
剥ぐという怖い神なのです。

 

 
この背中にしょった俵から子どもの長靴がのぞいているのがまた怖い。
岩手県立博物館の展示のスネカ様も長靴がのぞいていたなあ。

 

兜跋毘沙門天の展示もおもしろかったです。
毘沙門天は四天王のひとりですが、その守っている方角が東北で
いわば鬼門、艮にあたるということ、兜跋毘沙門天の像がなぜか東北に多いということ、
鬼と東北の関係をいろいろ考えさせられました。
 
仏像が小鬼を踏んづけている姿が一般的だと思いますが、
この毘沙門天像は「地天女」が大地から支えているという不思議な構造です。
私もはじめて見た時、あれ?と首をかしげました。
 
だってふつうは女神様はきれいなもので、こんな土台みたいなポジションじゃないと思うんですが。
 
 
毘沙門天像の中にも地天女がいないものもあるのですが、
萬鉄五郎記念美術館から始まったきのうのドライブですが、萬鉄五郎の作品には
成島毘沙門天堂の毘沙門天像にポーズを借りたという説がある「もたれてたつ人」があり、
 
個人的に萬鐵五郎記念美術館も利根山光人記念美術館もこの鬼の館とリンクしていることに
おもしろさを感じました。
(萬の「もたてれてたつ人」という作品の所蔵は岩手県立美術館ですが)
 

 

展示の最後の方にある大権現様。
黒森神楽の大権現様でしょうか。

 

 
岩手の鬼伝説地図も興味深かった。てか本にしてほしい。
 

 

 
自分が生まれたところに一番近いのは「八郎太郎(北上市)」の
 
岩魚を食べた八郎太郎が喉が渇いて川の水をのみほして巨人になってしまった、
 
ですが、これは秋田の「八郎」ともリンクしていますし、私の生まれた奥州市水沢区では、
「かもん長者」として、全国に散らばっている「佐用姫(表記もいろいろあるみたいです)」伝説」に一部重なっています。
 
「かもん長者」では岩魚を独り占めして井戸を飲み干し龍になった長者の女房が、毎年生贄の若い娘を差し出させるのですが、
ある年村にやってきた九州の佐用姫が身代わりに見分森に立ち、龍にむけて拝むと龍の首や角は四散し、村に平和が戻った、という民話になっているのですが、残念ながら「かもん長者」は出ていなかった。しくしく。
 
体が巨人になった八郎太郎についていえば、「大人」(巨人のこと)も鬼の仲間に分類されており、
 
鬼とは異形であり、特別な能力をもった戦うもの、その力によってひとを守ってくれることもあるかわりに、
恐れられ祀られる対象にもなる、
 
という点で成田亨のつくりだしたウルトラマンを連想してしまいます。
 
まわりのものとは違う外見や才能や言葉をもつものを鬼と恐れ、排除しようとする心も鬼でしょう
 
 
 
 
紹介した展示はごく一部ですが、鬼について世界の祭りの仮面の展示もあり、
ここにきたのは利根山光人のコレクションも展示してあるということだったからなのですが、
 
見ているうちに水木しげる先生と利根山光人の関心がずいぶん重なるような気がしました。
ちなみに水木先生が大正11年生まれ、利根山光人が大正10年生まれ。
 
利根山光人が引かれたのはメキシコやマヤ文明だったそうですが、
水木先生もメキシコの「死者の祭り」についてはマンガにもしていたくらいなので、
 
もしふたりが対談していたら意気投合したんじゃないかと思ったりしました。余談です。