先週の月曜日に敢行した弘前日帰り。さらに1週間前の秋田市日帰りに旅にリンクしてもいます。
弘前れんが倉庫美術館で開催中の「小沢剛展 オールリターン」を見てきたのでした。
弘前は言わずと知れた林檎の産地で、弘前と聞いただけで林檎園が浮かぶくらいです。
小沢剛さんは1965年生まれ。私は1963年生まれなので、
《帰って来た》というフレーズに郷愁を感じます。青森といえば成田亨。
高速から青森県立美術館に向かう道には成田亨デザインのウルトラマンが描かれているのですが、
毎回、ウルトラマンにもカネゴンにも胸がさわぐ。ちなみにきのう観てきた「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の庵野秀明監督は1960年生まれ。男女関係なくウルトラマンや怪獣やロボットや特撮やアニメに夢中になっていた年代だと思われます。
私はDr.N、野口英世をモデルにした《帰って来たDr.N》を福島の「はじまりの美術館」で見たときの
衝撃が忘れられず、新作の《帰って来たT.S》と藤田嗣治が好きなので、未見の《帰って来たペインターF》、
もちろん、《帰って来たDr.N》との再会も楽しみにやってきたのでした。
いちばん力を入れて制作されていたのはもちろん、この弘前の地にもちなんだ寺山修司をモチーフとした「T.S」。
絵も歌も映像も、イランのアーティストとの共同制作で、この絵の原画を書いた画家はかつて映画ポスターの名手であり、現在は油絵画家として活動しているということです。
この絵たちはS.Tの人生を映画ポスターにした絵のようでもあり、野口久光の映画ポスターを思い出してしまいました。
《帰って来たT・K ・O》 岡倉天心(覚三)の部屋も見ごたえがありました。岡倉天心については東京美術学校をつくったひとで、学内の派閥争いに巻き込まれて学校を去り、茨城県で六角堂をつくり、そこに岡倉天心を慕ってついてきた画家たちと活動していた、
というようにいろいろ認知に歪みがあるざっくりした人物像だったので、作品のどこが虚構でどこが事実に基づいているのかが曖昧です。
だからこそ楽しめた一面もあります。この部屋ではインドの音楽グループによる歌と映像が爽やかで明るく、力強かった。
映像がはじまると室内は暗くなり(監視員の女性が教えてくれました)、大型プロジェクターには「開始まであと2分」というように、カウントダウンが映し出されており、
それにあわせて(?)あわてて写真を撮りながらぐるっと回り(その人物の人生の主要場面が時間軸にあわせて展示されています)、ベンチに座って映像を見る、この繰り返しです。
残念ながら《帰って来たDr.N》は今回、作品の展示はなく、映像だけだったのですが「はじまりの美術館」で見た映像と音楽の衝撃はなく、マイルドになっていました。全体とのバランスからでしょうか

小沢剛さんは1965年生まれ。私は1963年生まれなので、
《帰って来た》というフレーズに郷愁を感じます。青森といえば成田亨。
高速から青森県立美術館に向かう道には成田亨デザインのウルトラマンが描かれているのですが、
毎回、ウルトラマンにもカネゴンにも胸がさわぐ。ちなみにきのう観てきた「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の庵野秀明監督は1960年生まれ。男女関係なくウルトラマンや怪獣やロボットや特撮やアニメに夢中になっていた年代だと思われます。

私はDr.N、野口英世をモデルにした《帰って来たDr.N》を福島の「はじまりの美術館」で見たときの
衝撃が忘れられず、新作の《帰って来たT.S》と藤田嗣治が好きなので、未見の《帰って来たペインターF》、
もちろん、《帰って来たDr.N》との再会も楽しみにやってきたのでした。
いちばん力を入れて制作されていたのはもちろん、この弘前の地にもちなんだ寺山修司をモチーフとした「T.S」。
絵も歌も映像も、イランのアーティストとの共同制作で、この絵の原画を書いた画家はかつて映画ポスターの名手であり、現在は油絵画家として活動しているということです。
この絵たちはS.Tの人生を映画ポスターにした絵のようでもあり、野口久光の映画ポスターを思い出してしまいましした人物像だったので、作品のどこが虚構でどこが事実に基づいているのかが曖昧です。
だからこそ楽しめた一面もあります。
《帰って来たK・T・O》-《帰って来たペインターF》と順路がつづき、
どちらも小沢剛の卒業した東京藝術大学の創設者(だと思っていたのですが、岡倉天心は形式上は2代校長でした)であり、大先輩ですが、
日本や日本の美術界の大きな権力に反発した、海外に出てそこで活躍したという共通点もあります。
ペインターFは従軍画家としてパリならぬバリへ向かうのですが、実際の藤田嗣治がパリ時代エジプト風の衣装を作ってダンスに興じていたことや初期の絵にこういうタッチの絵があったなあとか、脳内参照展示も激しかったです。
藤田お気に入りに筒がきの青い布にキノコ雲を描いた作品に、フランスもじつは核兵器所有国だということを思い出しました。
ペインターFは戦後70年の際の東京国立近代美術館での藤田嗣治の戦争画の展示が記憶に新しいのですが、戦争と画家、従軍画家についての小沢剛さんの調査とそこからの物語を見たあとに、《帰って来たT・S》こと寺山修司の物語へ。
寺山修司の父が警察官だということは知っていましたが戦死していたことは知らなかった。殉職だと思っていたのです。
会場で流されている映像はイランの音楽家との共同製作ですが、そこに弘前で
活動している三味線奏者の三味線が入り、
青森とイランの意外な共通点である、林檎の映像がさしはさまれます。
イランは林檎の生産世界7位ということをブックレットで知りました。この「小沢剛展 オールリターン」のブックレット、コンパクトだけど読みごたえがあります。
ところでこの流氷のような白いモノは何だろう?と思っていたのですが、
ビートルズのジョン・レノンこと、《帰って来たJ・L》の部屋から下を見下ろしてはじめてわかりました。青森県内を転々とした寺山修司にちなんで、
青森の周りの海を雪に反転したものでした。
寺山修司の有名な短歌を連想してもいいのではないでしょうか。
私自身は寺山修司についてあまり知らない方です。高校の頃、林静一のカバーで角川文庫で寺山修司のものを読んだこと(私が好きなのは世界の奇妙な事件や日本の民俗なので、そういう作家だと思っていました。もちろん寺山修司が「あしたのジョー」の大ファンで力石の葬式をしたなんて知らなかった)、大人になって青森市に住んだときに寺山修司の野外劇が青森市であって真っ赤な林檎に「異」の文字が抜かれた(シールで覆って収穫時に剝がしたのかな)ものをもらって、街なかの不思議な光景を見たり、青森県立美術館で映像作品を見たことがあるとか、戯曲を読んだくらい。
三沢にある、寺山修司記念館にも一度出かけたくらいです。連続して興味を持ってきたというわけではなかった。
その断片的な寺山修司とT・Sの重なりがあって、イランと青森のアーティストによる共同製作がつくる雪の青森の世界はそれぞれが見る世界だと思います。
《帰って来たシリーズ》の5人についての年表や資料の展示のある2階では、資料の本が興味深かったです(こちらは撮影禁止)
会期は3月21日までですが、お近くの方はぜひご覧くださいませ♪