劇団・地点のワークインプログレス公演「地下室の人々」のこの案内はがきを目にしたのはどこだったかな。これは気になると思いながら、青森公立大学、ACACってたしか青森県立美術館よりもっと行ったところよね、うーん、と尻込みしていました。
 
が、発作的にストーブ列車に乗るならいま!という気がして、だったらここも行けるな、ということで詰め込んだのでした。
 
 
 
ACACには以前、美術館ボランティアの研修で来たことがあり、その時は秋だったかな。そのあとに個人で来た時も夏だったので、真冬のこの光景は別の場所を見ているようだった。
 
設計は安藤忠雄。兵庫県立美術館、秋田県立美術館に共通するある思いがこみあげるのだが、それを書いてもいいだろうか。
 
…入口どこですかー。
 
 
公演は『地下室の手記』を読んだことがない私でも大丈夫だった。手記は脚本の三浦基氏(アフタートークがあったのだ)によれば、一人称の中2病、自意識過剰。19世紀の大文豪による中二病小説。これは気になる。
 
役者さんたちはみなお揃いのパジャマでもあり囚人服でもあるような、しかしモードっぽい雰囲気の縦じまの衣裳で、ちょっとコンテンポラリーを意識したところもあるのかなと思った。台詞の中にやたら九九が出てきて、しかも9割方ちがう答えを唱えてはブザーが鳴る、というところがあり、これは作家のつくった部分だなと思って質問したら、原作に忠実なところだった笑。予習してこないからそうなる。ただ、その九九にこだわる箇所に共感して、さらに多くの九九を散りばめたということなので、つくった部分と思ったのも間違いではないわけだ。
 
ロシア文学、特にドストエフスキーとチェホフをテーマにした劇をやっている劇団だった。というようなことはアフタートークと帰宅してからの検索で知ったのでした。Youtubeには「桜の園」「かもめ」「三人姉妹」というチェホフの超有名な戯曲の舞台もあったし、太宰治にかなり傾倒していたということで「グッド・バイ」の公演もあったようだ…もう終わったけど、「地下室の人々」の舞台からどんなふうな「グッド・バイ」なのか気になる…。盛岡で公演やってくれないかな。
 

 

 
向井千秋さんについて夫の向井万起男さんが「ブラウンちゃん」と呼ぶエピソードが『君についていこう』の中にあるんですが、
 
ブラウン運動、あれですね、中学の理科で顕微鏡をのぞくと、何とも言えない感じでずっと動き続けている分子があったじゃないですか。あの分子になぞらえてブラウンちゃん。
 
私は長年自分のことをじっとしているのがいちばん好きな人間だと思っていましたが、そうでもなかった笑。
 
発作的に、いきあたりばったりで出かけ、なにかとぶつかってから、はてこれはなんだろう、と思う思慮の浅い人間です。短慮型弾道ミサイル的な移動癖。
 
でもなにも考えていなかった今回の旅のなかで、
 
金木町 太宰治 斜陽館 ストーブ列車 という地点から、
 
青森県立美術館 阿部合成展 に移動したら、太宰治と阿部合成が中学で同級だったことがわかり、太宰の小説の装丁を手掛けたり、金木町の芦野公園に太宰治の記念碑をつくっていたり、濃い付き合いだったもよう。
 
阿部合成については成田亨展の時に、成田亨の恩師だったことを知ったのだけど、続々新情報が寄せられ、図録の文字のあるページをひたすら読みふけってしまう。
 
で、そこからACACですよ。
 
公演が終わった後のアフタートークで、三浦基氏からロシア文学と太宰治が好きで、というお話が…。斜陽館に行ってきたその日に太宰スキーなひとの公演を見るってなにこの偶然。
 
ドストエフスキーは若い頃に『罪と罰』(大島弓子がマンガに描いていたので読もうと思った)『カラマーゾフの兄弟』を読んだだけで、ほかは全然読んでいない。
森茉莉が人物評で、『白痴』のムィシキン伯爵のような純粋さ、というようなことを書いていたので、読もうかなと思ったけれど思ったままで終わってしまった。はたして今後あの長大重厚なロシア文学を読む日がくるんだろうか。
 
今回の「地下室の人々」は『地下室の手記』を再構成し、ドストエフスキーのほかの作品からのセリフも入れてあり、
 
ワークインプログレス、滞在しての演劇なので、これからもっと他作品からの引用がバラバラに入っていく予定だという。
 
もともと演劇をやることは想定されていない空間なので、声が響きすぎてセリフが聞き取りにくかったりもしたけれど、
 
私は役者が向こうからファッションショーのモデルのようにポーズを決めながらやってくる、その影が高い壁面に大きく映るところがおもしろく、最初に入ってきたひとの影がいちばん奥になったり、カーブのある、奥行きのあるステージをつかった演出がおもしろかった。
 
もっと勉強してから行けばよかったと思うけれど、行かなかったらまるっきりなにもないわけで、この行き当たりばったりにじつは反省したりしない。