、劇場版『アンダードッグ』、きのう観てきましたー。
 
配信最大大手ABEMAで2021年1月1日全8話の配信開始があるから、「劇場版」なんですね。ABEMAと東映ビデオの共同製作であることも知りました。
 
でもやっぱりこれは劇場で見たいですよー。『百円の恋』の式正晴監督、足立紳原作・脚本、というだけでワクワクしていました。
 
 
森山未來、北村匠海、勝地涼の3人のリングでの戦いが圧倒的。
 
三人の中ではいちばんボクシング経験が浅く、周囲からも「親の七光りタレント」という目で見られている、宮本瞬役の勝地涼さんが、「役なのか自分なのかわからなくなる瞬間があった」とパンフレットで語っていて、それがよくわかります。
 
宮本瞬はまったくおもしろくない芸人。夜な夜な合コンに出かけて行って、そこでウケないギャグをかまして、失笑されています。そんな彼の偉大なる父親は風間杜夫。
 
『百円の恋』にくらべて、尺も長くなりましたが、脇を固める俳優・芸人が豪華でした。
 
 
3人の男の周囲を丁寧にじれったくなるくらい細かく描き込んでいって、リングにすべてを流し込む感じ。途中で、このままでほんとうに映画が終わるのか、とハラハラしました。
脇役であっても、その人をカンタンに殺さないし、その後の人生も描こうとしているから。
 
主人公晃は別居中の妻(水川あさみ!どんだけ水川あさみ日本映画に出続けた1年だったんだ、というくらい、めったに映画をみなくなった私的には見る映画に水川あさみが登場する確率80%ですよ)と父親がボクサーであることも、過去に日本人ランク1位まで上り詰め、後楽園ホールで世界戦を戦い惜しくも敗れたことも知っている息子(きれいな瞳で燻っている父親を一生懸命気遣い、尊敬している)、理由は映画の中では詳らかにされないが、借金を背負って人生を捨ててしまったような酒浸りの父親(柄本明!)。
 
晃の毎日はいまにも潰れそうなデリヘルの送迎係と銭湯の清掃。住んでいるのはスカイツリーが近くに見える、東京の下町である。
 
そんな毎日でもボクシングジム所属であり(ここも見るからに潰れそうな活気のなさである)、台湾(だったかな)から日本にやってきておっぱいパブに浸っている変なチャンプとのしけた会話から、トレーニングを黙々しては帰る。家に帰ればおとなしくテレビを見ているだけとはいえ、人生の落伍者としかいいようのない父親がこたつに入ってテレビを見ているだけだ。
 
足立紳のこの脚本すごいなー。『喜劇・愛妻物語』でも、どうしてそんなディティールを描けるの?というくらい、しょぼくれた、ダメな、せこい人間を鮮やかに描いていたけれど、こんなドシリアスな物語にも、ダメ人間の持つ滑稽さと人間としてのかわいらしさは覗く。
 
晃を演じている森山未來は燻った雰囲気を出すのが上手い。
 
晃が務めているデリヘルの店長は昔なじみだが、どこか挙動がおかしく、おそらく60ちかい最年長のデリヘル嬢(熊谷真実)がなんとなく女将さん的立ち位置で締めているが、みかじめ料(たぶん)の取り立てにやってくるヤクザにも罵倒されるくらい、とにかく女の子がいない。
 
幼い娘とふたり、逃げるようにやってきた女は車いすの青年が客についたのだが、晃は待機しながらふたりの様子を盗み見しているところを車いすの青年に知られ、笑われている。情けないにもほどがある場面だが、
 
この車いすの青年も脇役というには味があってよかった。
彼も単身で出てくるのではなく、背後には彼を溺愛している上品な佇まいの母親がいる。
 
底辺の人達がひとりではないというところにリアリティがある。『百円の恋』でも、ぐうたら生活の一子がそれでも甥っ子とはゲームでよく遊び、学校で苛められていることもよく聞いていて、
 
ボクシングをはじめた一子が線の細い甥っ子にボクシングを教える場面も短い場面だがよかった。
 
デリヘル嬢の娘(新津ちせ)を一瞥しただけで、「あの子虐待されてるぜ」と見抜いたのは親に置き去りにされ、養護施設出身の若きボクサー龍太(北村匠海)。
 
晃がボクシングジムで練習しているところへ窓から飛び込んできて、不躾な口を利く。
 
短い前髪の下の目が鋭くきれいな顔立ちなのに残酷なことを平気でやりそうな雰囲気もある。
 
母子家庭だと思っていた母娘だったが、じつは父親(なのか同居の男なのかはわからない)がいて、母親は彼に搾取され、暴力を振るわれ、怒りの矛先は幼い娘に向かう。ケージに入れられ、母親に虐待される娘。
 
この母娘の決定的な場面に電話で呼び出され、車を飛ばして駆け付ける晃。晃は罪を負ったデリヘル嬢(嬢といっても30半ばくらいに見えるやつれ加減である)に結婚して娘とも一緒に家族になろうともちかけ、
一笑にふされる。
 
このあたりが足立紳脚本だなあと思う。どん底にいる女が、晃がすがるものを得たくて家族になろう、と一見救いの手のように見えることを言ってきたのを見抜いているのだ。そしてすかさず、「あたしにだけは言われたくないだろうけど」と言わせている。
 
デリヘル嬢にかぎらず、晃の妻も、龍太の妻(ヤンキーにありがちだが、プロデビューしたばかりのボクサーなのだが、すでに妻がいて臨月だった。のちに赤ん坊との穏和な暮らしも描かれる。
崖っぷち芸人瞬をささえる大人しい雰囲気の愛がある日意を決して瞬の父、宮木幸三郎(風間杜夫)に会いに行く。
 
書いても書いてもきりがないくらい、誰一人ただの脇役ではなく、みんなその人の愚かしい人生を一生懸命に生きていて、
 
3人の男たちのリングでの姿はそれはカッコいいが、まわりで支える人たちの健気さ、うつくしさこそ描きたかったものじゃないのかと思った。うつくしさだけではなく、みじめったらしさや恥ずかしさ、醜さも。

 

 

 
前半の最後は瞬と晃の試合で、テレビ局から演出としての八百長をもちかけられ、受けてしまう晃。
 
もちろん、瞬はそんなことは知らない。あくまで盛り上げるためだから、ちょっと倒れて、そのあとはボコボコにしてやっていい、というわけで負け試合をしろというわけではないのだ。だが瞬はウケないお笑い芸人の仮面の下に、繊細で傷つきやすい心をもっており、地道なトレーニングの中で彼を馬鹿にしていた先輩ボクサーに目をかけられるようになった。この先輩がセコンドにつき、瞬を最後まで励まし続ける。立て、立ち上がれ、と。瞬は信じられないほどのダメージを負っても立ち上がり構える。
 
晃と瞬の戦いはリアルで見ごたえがあった。よろけながらも晃に立ち向かう瞬。顔は血まみれでパンチもヨレヨレになっているのに、晃にしがみ付いていく。それは人生にしがみついていくようなものだ。瞬は売れない芸人、親の七光りと揶揄されても、そんな自分の人生を賭ける時はいまだ、と必死の目をしている。
 
その試合でお笑い芸人を引退することになった瞬の人生もまだつづいていく。それは後編で描かれているのだが、その新たな人生を見て、よくここを描いてくれた、と瞬に肩入れしてしまっていたので泣きそうになる。
 

ずっと生きているのか死んでいるのかわからない目をしていた晃が、この試合のあと、かつて世界戦を戦ったチャンプ海藤と廊下ですれ違い、低い声だが痛烈な一言を投げつけられ、

 

なにかを思ってひとりでいる場面のカメラがよかった。この場面の写真がプログラムにないかなーと思ったけどなかった残念である。

 

前編の最後は布団にくるまって見苦しく嗚咽する晃。

 

晃の感情らしきものがはじめて堰を切った場面だった。

ここもよかった。

 

前編が終わり、後編に入ってすぐに晃が猛特訓で世界戦を目指す、というような話ではなく、

 

晃に不敵な態度を取ったあの若いボクサー龍太が頭角をあらわし、対戦相手に晃を指名してくる。生意気である。若くて強くて生意気で翳があって美貌。

 

しかも幼い時から傍らにいて、自分を支えてくれる妻と生まれたばかりの赤んぼうという人生の花の時代にいるような龍太である。妻には離婚をつきつけられ、八百長試合ですっかり傷つけてしまった息子という晃との対比がひどすぎる笑。

 

しかし、

 

龍太はここで過去の落とし前をきっちりつけさせられる。

ヤンキーだった時代をケロッと忘れていまの栄光だけで語れるほど人生は甘くないのだ。突然の惨劇に見えた復讐に、龍太はボクサーとしては致命的な怪我を負ってしまう。ボクシングを続けることはもうできない。昼間は運送会社で働きながら(3人の男たちは隈なく、表も裏も描き出されているのだ)晃との最後の対戦のためにトレーニングする龍太。彼に大怪我を負わせた車いすの青年は、彼だけはその後どうなったかは描かれていないが、もし描かれていたら、それもきっと納得のいくものだったろう。

 

ギリギリに追い詰められた晃と龍太の試合は凄まじい。繰り出されるパンチ、歪む顔、血しぶき、血管が切れて片目から血があふれている。生々しい。スピード感がある。汗がライトを浴びて飛び散る。

 

試合が終わって、龍太は養護施設でのボランティアでボクシングを教えながら、かつて虚ろな目をしていた少女の笑顔に少し救われる。龍太は運送会社につとめながら、第二の人生を逞しく生きていくのだろう。

演芸場の舞台に立つ瞬は、テレビの世界から身を引いて、舞台でもう一度やりなおそうとしているようだ。落語の師匠の前座をつとめ、舞台袖から師匠をじっと見ている。

 

晃はボクシングを続ける。

 

彼がもう一度世界大会の舞台に立てるかどうかはわからないが、どん底から這い上がったのは彼だけではなく、

 

あのデリヘル店の店長も最古参デリヘル嬢の兼子と結婚を決め(彼もしでかしたことのケジメはつけなければならないのだが)、

 

酒浸りだった父親も顔色がよくなり、晃との生活も規則正しくなったようだ。

 

すべてめでたしめでたしではなかったが、傷だらけになりながら明日にむかって立ち上がる人たちの群像がよく、明るさと暗さのバランスもよかった。

ではでは♪