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こんにちは。

「水平線の歩き方」を見ながら脳裏をよぎったのは、

YouTubeのくろねこビジネスchさんの「ゆっくり解説 Jリーグ誕生の歴史」でした。

 

サッカーとラグビーという違いはあるのですが、自分の人生を賭けて愛するサッカーのために尽くす木之本興三、彼は前編ではグッドパスチャー症候群により腎臓摘出手術を受け、透析を受けながら仕事に復帰しさらに親友の窮状から日本にプロのサッカーリーグがあれば、と考えます。

 

 

後編の終わりにはついにバージャー病により右足、そして左足切断という試練を受けるが、最後までサッカーのために情熱を燃やし続けるという、炎の男なのです。

 

幸一が膝の怪我に苦しみ、引退を考えるように勧められる場面で、病魔に苦しみながらもJリーグ発足に奔走した木之本興三と彼の仲間たちのことを考えていました。

 

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主人公の靖子さん、やっちゃんの夫は男前ですが癇性で気難しく頑固な10歳年上。ふたりのなれそめ編では過去のいきさつが語られます。

 

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先生(と呼ぶのは出会いが靖子さんが小学生の時の家庭教師に来た大学生だったから)はまだおなかにいる時に両親が離婚、さらに赤ん坊の時に母も亡くなり、母方の祖父母に育てられたのですが、

 

祖母が自分の死期が近いのを悟って、いまでは流行作家でお金もある父のもとで大学にやってもらいなさい、と先生に言い聞かせ、長野へ託します。父は頑固ですぐに手がでるし怒鳴るし苦手だったし、義母はいいひとだけど3人の子どもの世話もあり、倚りかかれない。ずっといい子にしていた先生はほんとうは誰よりも甘えたい、やさしくされていたい部分があって、

 

4歳年上の小説家の奥さんとは結局だめになってしまいます。

 

 

 

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「水平線の歩き方」の主人公は叔父もいいひとですし、引き取られたときは少なくともほかに子どももいなかったのですが、しかし、寄る辺なさというものはつねに感じていたのではないか、とマンガを思い出しながら舞台を見る私でした。

 

先生は奥さんがおなかの中の子どもより仕事を優先したことに怒りを覚え、殴ってしまうのですが、この激しい暴力と愛情への飢えは表裏一体。

 

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「異端の鳥」の少年はもっと寄る辺なく、激しい暴力と蔑み、大人たちの絶え間ない裏切りに遭い続けていたのですが、

 

今度こそ自分を守ってくれると思った大人たち(男も女も)は彼を虐待し搾取するだけの存在でした。

最後にやっと出会えた父に対して、食卓のものをひっくり返し、窓ガラスを割ってあるく、収まらない激しい怒りを抱いていました。いままでも少年は無抵抗なだけではなく、自分を痛めつけた相手に対して陥れたり、銃で撃ったりしてきていましたが、父は少年を心から思っている様子がうかがえるのに…。

 

物語の最後に少年と父親がふたりで田舎道をバスに乗ってゆく、ホッとするシーンがあるのですが、うとうとする父の腕に数字だけの羅列の刺青が見え、たぶん、少年はなにかを察したのではないでしょうか。埃だらけのバスの窓に彼ははじめて自分の名前を綴ります。

 

 

 

長い孤独がやり場のない深い怒りを生み、激しい暴力に結び付くということを考えてしまいます。

 

「おかめ日記」の岳太郎自身は父の義母に対する暴力や暴言、大きな怒鳴り声に嫌悪を抱いていたのですが、父の模倣というより、赤ん坊の時からずっと長く孤独だった自らの境遇に対する怒りではないでしょうか。

 

とこのように、舞台も映画もマンガもYouTubeも、あらたな物語が目の前に現れた時に、過去に見たものと重ね合わせる癖があるようです。

 

私はたぶん理解力というものがあまりないせいか、映画でも演劇でも、レビューやあらすじを読んでから見ても、まるっきり思ってたのと違う、と感じることがほとんどです。

 

その理由はもしかしたら私が目の前にある作品に違う物語を重ねて(悪く言うともしかしたら、曲解している?)見る癖があるせいかもしれない、と気づきました。重ねて、曲解して、自分の見たいように見ているのでは…。

 

とはいえ、いまさらこの癖は変えられないし、これからもそれとこれをくっつけるなよーと思われそうですが、くっつけてくっつけての感想を持つのだと思います。