ささやななえさんの作品は『凍りついた瞳』シリーズと、『私が愛したオウム』しか読んでいなかったのですが、少し前にきっかけがあって読み始めたところです。
タイトルから勝手に、かつてあった少女小説の名前タイトルシリーズのようなものを想像していたのです。
(吉田としさんの「恵子」とか「敦子」とか「サルピナ

」とか…)

 

 

バスケットボール部の15歳の少女真貴子と年上の幼馴染真生(まこと)のふたりが心を通じあわせるまでのじれったいようなエピソードや部活やクラスメートたち…。
 
しかしストーリーより衝撃的だったのは、途中で物語が中断し、完結編が載ったのは10年後ということでした。読んでいたら途中に突然活字のページが入っていて、あれ?と思ったら、なぜ「真貴子」が描けなくなったのかを正直に綴られていて、マンガに感動すべきなのだが、むしろ、この文章に心ふるえたのでした。

 

 

 
そして解説が和田慎二さんだったという。
 
和田慎二先生、2011年に亡くなられたのですが、和田先生が他界なさってわりにすぐに小松左京さんも亡くなられて、立て続けに、というショックがありました。
 
ささやななえさんのアシスタントに行ったときの、ささやさんのふだんの屈託のない姿からは想像もつかないほど厳しく他を寄せ付けニア背中について書いておられます。そしてささやさんのもうひとつのジャンル、恐怖物と絡めて北海道のご実家に泊まった時の思い出も…。
 
ここからささやななえさんの「真貴子」から和田慎二さんに関連してつねづね思っていることを書きます。
 
最近は電子コミックで往年の名作も手軽にスマホで読めるのですが、「ガラスの仮面」を読んでいたら、もしかしたら私が気づいていないだけで、新しいコミックスが出ているかも?と思って調べたくなり、しかしまだ進んではいなかった…。
 
小学生時代、別冊マーガレットでは和田先生と美内先生の読み切りが楽しみでした。どちらも骨太の物語でひきつけ、前後編になると後編が待ち遠しい!その二人がそろって「花とゆめ」で連載をはじめたのが「ガラスの仮面」と「スケバン刑事」ですよ。
 
「スケバン刑事」は章ごとに1回か2回休載があったけれど、「ガラスの仮面」はひとつの物語なので休まず続いていく。そういう違いはあっても二大看板という感じでした。
 
有名なエピソードですが、「ガラスの仮面」のなかに「スケバン刑事」の登場人物が出てくる共作の回がありました。神恭一郎と速水真澄が親友同士という設定…ほかにも「ジーナと5つの青い壺」の上演のさなか、マヤちゃんの命が狙われる、という共作もあったと思うけれど。
 
なにかの特別号で、デビューが近かったふたりの先生が、偶然、ストーリーが似てしまって、どちらかのネームが却下される、ということがよくあった、という話を読んだこともあります。24年組と呼ばれた萩尾望都や山岸凉子や竹宮恵子、大島弓子、木原敏江…(もっといたと思うけど)とは違う、骨太の物語で読ませる作家ということで両先生は傑出していました。子どもの頃読めてほんとうによかったです。
 
ということで、
私がずっと思っていたのは、和田先生が2011年に亡くなったことも、「ガラスの仮面」がなかなか終わりへ向かわない理由なのではないかということです。Twitterで美内先生が和田先生のことを、ライバル、戦友と書いていて、すごく納得でした。
 
ライバルであり戦友であった和田先生の死だけではなく、ご主人が大病で介護が必要になったということもあるとは思いますが、
 
それでももし、いまも和田先生が生きていて、ご自身のストーリーを紡ぎ続けていたら、刺激されたんじゃないかなあと。
 
連載開始時は12歳でマヤちゃんより年下だった私ですが、もしかしたらいま、月影先生の年齢かも…。
 
マヤちゃんの天才性は美内先生そのものだと思って読んでいました。「二人の王女」のオーディションで、レストランの支配人の決まった演技に合わせて物語をつくり、「感動を生む」テストで、いくらでもいくらでもやれるわ!とまわりを戦意喪失させるまで次々とアイディアを繰り出すマヤちゃんは、美内先生そのものだと思うのです。
 
「ガラスの仮面」の完結を見たいというより、子どもの頃から素晴らしい物語のつくり手として憧れてきた美内先生がマヤちゃんをもう一度紙の上で生き生きと動き回らせてくれたら、それだけでうれしい気がします。
 
まとまらないけど、とりあえず書こうと思ってから2週間ほど寝かせていたことを書いてスッキリしました。
 
くどくてごめんなさい。
ではでは♪