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『パパは楽しい躁うつ病』 北杜夫 斎藤由香(朝日新聞社) 2009年刊

 

小6の頃、クラスの一部で「どくとるマンボウ」と「狐狸庵先生」と「森村桂」がブームだった。ほんとうに一部だったと思う。私は当時、クラスの女ボス的存在の女の子を崇拝しており、彼女には年の離れたお姉さんがいたせいで、読書も発言も大人びていてカッコよかった(のちに結局は同じ年の子どもにすぎなかったと知って幻滅するのだが)。

その女ボスが上記の三作家の文庫本を学校に持ってきて読んでいたのだと思う。私ですか?もちろん、彼女と同じものを読みたかったので図書館に通って借りて、その後『女の一生』や『楡家の人々』まで読むのであった。中学では彼女とはクラスが一度も同じにならなかったから、その後話をしたのは30年ちかく後である。



 

北杜夫は考えたら女ボスより前に、「ぼくのおじさん」でファンになってしまっているのだ。子どもの頃からずっと好きで、和田誠の挿画も好きだった。おじさんは若い頃の北杜夫自身がモデルなのだけれど、北杜夫はそうはいっても一応医学部の学生だったり、インターンだったりしたわけで、ハワイ当選をかけて必死にチョコレートを食べたり飴を舐めたりしていて、本業はなんだったのか不明なおじさんよりは将来性のある若者だったと思われる。

 

私が感情移入していたのは賢い小学生の雪男ではなく、大人のくせにマンガが好きで(発表当時はまだ大人がマンガを読むことは白眼視されていた)ゴロゴロしてお菓子を食べて抽選に当たって海外に行こうと本気で思うようなおじさんだった。当時の私と何から何までそっくり。こちらは小学生なので、ごろごろできなくてつらいなあと思って、おじさんに憧れていた。学習塾など通っていたわけではないが、子どもは大人が思うほど暇な時間が案外ないのだ。

 

本書では躁うつの激しかった頃の話が中心で、これは家族はたまったもんじゃないなあと思うけれど、「マンボウマブゼ共和国」をつくって日本から独立し、文華の日をまねて「文華勲章」授与式をやったり、由香さんは躁状態のパパのやることを楽しいと思って見ていたようだった。

 

株の売り買いがなければ笑。

 

株の売買のことは北杜夫さんと「文芸首都」の同人仲間でもあった佐藤愛子さんのエッセイでも出てきたけれど、この対談では当時の狂奔ぶりもよく伝わってくる。友達からも出版社からも借金してでも買う、しかもメモに書いていても、すぐ気が変わって売りになったりするからメモもぐちゃぐちゃになっている。

 

株で大損し、ほんとうにお金がなかったときは対談の仕事でギャラを現金でもらうと家に持って帰ってそれが生活費ということがあったそうだ。それもふたりの会話のなかでは楽しそうに響く。

 

 

 

しかし、由香さんが自分の友達がパワハラといじめに遭い、うつ病になり20㎏も痩せて会社にもいけなくなった、という話をしだしたとき、ドキッとした。対談のかなり終わりの方である。

 

やはり精神科医で文学者のなだ・いなださんに北杜夫の最大の功労は文学ではなく、躁うつ病の存在を世間に広めたこと、と言われるくらい、私も躁うつ病という言葉を北杜夫のエッセイで覚えたのだし、私がその言葉を知ったときはもう躁うつは気軽に使われるようになっていたと思う。マンガを読んでいても、あのひとわりとソーウツのところがあるから、というようなセリフもざらだったし。

 

そんな北杜夫さんが、由香さんの友達の鬱について、パパに比べたら軽いねというのである笑。由香さんが反論して、友達の方が重いと言っても、いやパパの方が重いと威張る笑。


 

いままでほかのエッセイでは読んだこともなかった、希死念慮が募って看護師や家族のわずかな隙を付いて巧妙に自殺してしまったクランケについても語られている。

 

さすが躁うつ病歴の長い北杜夫さんだけあって、こうすればうつは治る!というような断言はしないけれど、

 

60%で満足するということと、

 

躁うつは循環しているから、うつの時はじっと「虫の冬眠」のようにして過ごすこと、

 

かるいものを読むといいということ、

 

それにもまして、躁うつ病の大家(?)である北杜夫ご自身が、死んではいけない、というのが印象に残った。