こんにちは!
きょうは気温が下がって過ごしやすいですねー。
冬以外は工房の巨大換気扇がぶんぶん回っているのですが、
(消防署認可の強力換気扇)
 
止めても暑くならない!ってこれ相当気温が下がりましたね。
 
雨が激しく降った後、店の方が自宅より涼しくなった感じがあるので、こちらにパソコンを置いております。
 
 

 

 
ドクダミ茶第2弾もだいぶ乾燥したもよう。
すっかり茶色くなった第1弾はもう煎じて服んでもいいかなー。
 
私は子どもの頃からなにかをつくるのがすきだったのですが(子どもはみんなそんなものかもしれませんが)、
 
子どもの頃はクッキー(私の子どもの頃はそもそもクッキーという言葉自体、お菓子作りの本や児童書にしか出てこなかった)を焼いていても妨害や野次がうるさかった。私は創作活動に燃える小学生だったので、『家なき少女』の暮らしに憧れて、酸模のスープを製造したのだが、見ていた祖父がカンカンになって(雑草を鍋で煮るな!汚い!というもっともなご意見)ナベは没収、たぶん、2、3発叩かれた気がする。という、無理解とバイオレンスを潜り抜けて、
 
自分のお年玉でやってるんだもーん!を旗印にケーキや焼き菓子製造に励んでいたのでした。べつになにになろうとか、誰にたべさせたいとか、そういうのは一切なく、ただつくってみたいという好奇心だけです。『家なき少女』は私のやる気を刺激する物語でして、芦の葉を叩いて繊維にして編んだ靴底でつくったダンスシューズ(たしか)というのもまねて、
 
なぜか菖蒲の葉っぱを叩いて編んで、というのもやった。もちろん靴になるわけもないのだが、強引に草で編んだ靴状のものを片足だけつくって喜んでいたりする。
 
そのほかにも覚えていないくらいいろんな変なものを作っていた気がする。佐藤さとるさんの『おばあさんの飛行機』にも憧れて、蝶の模様を編む、という謎編み物をやっていました。これは2、3年冬がくるたびにトライしていたのですが、そもそも蝶の羽の模様を編み物で表現ってどうなの? それでも2年生くらいの頃は、かなり本気で編み物が浮き上がることを想像していたのでした。
 
 
いまやりたいことを妨害する大人はいないのですが、子どもの頃のようなギラギラしたやる気がないのが残念です。
 
いまだったら、オーブンもあるし材料もあるので、床一面に敷きのばしたクッキーの種からポンポン型抜きしたショウガ入りクッキー(いまだったらジンジャークッキーと翻訳されるわけですが)を天板に投げ入れて、そのままオーブンで一度に300個のクッキーを焼く、というピッピのようなこともできるわけですが、
やりませんなあ。
 
やはり少々のプレッシャーや妨害があった方が人間燃えるのではないでしょうか。
 
私はよく穴をほっていたのですが(たんに楽しいからというだけ)、ふだん私がなにをやっても「あああ|」と絶叫して止めさせる感じだった母が、
 
生ごみを入れられるからうれしいわあ、
 
と言うのが妙に癪に障る感じで、そういわれると掘りたくもなくなるのを思い出しました。
 
全然おちがありませんが、応援されて頑張れることもあれば、褒められたり勧められたりすると、反動でやる気を失うこともあるんだなって。