本を読めるように仕込んでくれた祖母には感謝している。

 

祖母自身は読書好きでもないし編み物とクラフト関係、お洒落が好きなタイプだったので、ペットにお手を仕込む感覚だったと思うが(猫かわいがりされていたのは写真から想像がつく)、

 

おかげで56になったいまでも読むことは変わらず好きです。

 

ただ、読むのは仕込むひとがいたのもあって早かったですが、書くのは、

もともと発達性協調運動障害で文字を書くという作業が不得手だったことに加えて、

 

・後ろ盾だった祖母が長期入院生活に入る

・父が左を右に持ち替えさせる躾を開始


という不幸が重なったこともあり、

(いま気づいたんだけど、家庭内で私の左利きを直そうと躍起になっているひとは父だけでした。父もADHDっぽいひとだったので、長女のADHDが目障りだったといまばすんなり読み解けますが、子どもの頃はひたすら恐怖と理不尽を感じていました)

 

私がいた保育園では遅い方だったと思う。

 

5歳でだいたいはかけるようになっていたけど「あ」が最後の最後まで書けなかった…読むのは2歳から読めていたんですけど。

 

こういう極端なできることとできないことの差もADHDあるあるで、めずらしくもないってわかってるけど、本人はずっと引け目を感じていました。できる方にはフォーカスしない。できないほうだけじーっと見ている感じ。

 

 

 

ADHDの特徴のひとつである、発達性協調運動障害、というとものものしいですが、

 

あれですよ、学科の勉強はそこそこできるのに音楽とか体育とか図工とか、芸術系の科目がことごとくダメなひとがいませんでしたか?って私もそうなんですが、

 

ボールの遠投がダメな子が多いらしいです、ADHDにかぎらず発達障害の子って。私自身も当事者なので差別の意味合いはないですよ。いやーほんと、どうやってもボールが遠くに飛ばないんですよね。もちろん息子も下手でした。発達性協調運動障害の顕著な例です。できる人からしたら滑稽な感じに見えると思いますが、生まれつきの病気なので笑ったり馬鹿にしたりしないように。

 

 

友達とあるきながら話す、というのがまた下手だった。しゃべるとあるくを同時進行でやるって難しくないですか。難しいと感じる感覚がわからないひとはおめでとうです。わかるひとは私の仲間です(笑)。

 

そういうできることとできないことの差が著しい子ども時代に、もし本を読むことができなかったり、興味がなかったらどうだったかなーと思います。

 

本が好きなのでよく読みましたが、書くのはずっと苦手でした。文字を書くのが大変なので(発達性協調運動障害に加えて、左利きなのに右で書くことになっているのでさらに大変です)、書きたくない笑。しんどいことはやりたくないというのは昔から一貫してるな。

 

しかしあれですよ、インプットなきところにアウトプットなし。

 

空いている時間とお小遣いや給料のかなりの部分を読書につぎ込んできたことがいまの自分のなにがしかの役に立っている気はします。

 

だったらなぜ、デジカメやパソコンの説明書は読む気がないのか。読んでもさっぱり理解できないのか。

 

それは…障害というよりたんなるめんどくさがり…きょうはここから。

 

ではでは♪