この表紙が気に入って、いまでいうジャケ買いをしたのは高1くらいかな。

日記の主は17歳で自殺したんだけど、自殺してから数年後に上梓されたので、当時の私からしてももう古く感じるところはあったけれど、

読み直してみると古いというより、神田理沙さんもお友達もクラスメイトも、純粋な交際相手の大学生も、みんな清らかで…。

クラスでもトップの成績で(平均が92点だったけどちがうクラスに平均94点の子がいて悔しいと書いている)、勉強に忙しい中でも文学書もよく読んでいる。ルナールの『にんじん』についてにんじんの残酷行為に目を留めているところが15、6の私にもいまの私にも引っ掛かった。

そこ?そこなの?にんじんママンの虐待に気付いてあげて!そこじゃないから!

と思うけど、それは理沙さんがいじめられたり虐待された経験がないからなんだろうなあと。

高3の秋に自殺するまでの日記は確かに優等生らしく勉強のことが多いけれど先生からの言葉や友達の悩みを聞いたりしていて、

ふつうコンプレックスの強い私はいいなあふつうで、と思ったけど、母の入院から始まる一蓮のエピソードで理沙さんは受験勉強の遅れや疲れも重なって、うつ的な詩を書き留め、自殺を選んだ。

その内面の苦しみまではわからないけれど、彼女が『にんじん』がわからなかったように私もその思い詰めた気持ちはわからない。

25までは手もとにあった本をある時手放し、数年前はネットでテキストだけアップされていたけど、やはりこの美少女のカバーがあってこそだと思って買い直しました。

自殺を選ぶまではふつうの高校生活で「章子のエチュード」の頃の池田理代子さんの絵で描いたら合いそうだなと思ったりするのですが、

なぜ何十年経っても自殺した女の子の日記を読み返してしまうのか自分でも不思議です。