盛岡演劇鑑賞会に入ったのは2013年でもうじき7年。
自分でチケットを取っていたらたぶん知らなかった劇団、見なかった舞台をこの鑑賞会のおかげで見られている。
 
さて、2020年度第一回の例会はこちら。
「滝沢家の内乱」 
加藤健一事務所 加藤健一さんと加藤忍さんのふたり芝居で、
声の出演で風間杜夫さんと高畑淳子さん。
 
馬琴とお路の二人三脚で『八犬伝』を完成させるエピソードは山田風太郎の『八犬伝』で知っていたけれど、
 
お路がひたすら耐える嫁ではなくて、陽気であっけらかんとして、義父には仕えるけれど訳のわからない病苦を訴える夫宗伯には、苦しい気持ちはあっても一緒に崩れたりはせず、家業の薬づくりに向かうことでガタピシとしている家の中で自分を保っている感じも見せ、
単なるあっけらかんとした女ではなく、嫁として妻として、不協和音だらけの家族の中で明るくいようと決めているようだった。



 
薬研をぎこぎこやる姿や丸薬をまるめるということから、昔の薬はこんな家内制手工業だったんだなあという発見もありました。
 
宗伯が若くして病に倒れたあと、お路との間の長男を盛り立てて武家に、という馬琴に宗伯にしたのとおなじ過ちを繰り返すのか、と意見したときもお路というのがただただ明るく従順な嫁ではないな、と思い、宗伯の病弱のもとが厳しすぎる躾で友達もいない幼少期にあったと知り、
「八犬伝」には義兄弟の契りをむすぶ八人が出てくるけれど、それは孤独に育ててしまった宗伯への無意識の贖罪だったのかも。
 
お路は義父である馬琴を唯一この家の中でまともに会話できる人と思って、まだ若い娘らしいところも残っているので、義父に親しみを抱いている。ただふたりには義父と嫁という立場があって、ふだんは馬琴の堅苦しい性格からお路が望むような、語らいはあまりない。
 
そんな堅苦しい馬琴が瓦屋根に上がって(梯子段をかけて)まわりを見下ろしひとりになれる時間を、お路もその場所に行って一緒に自由になるのだ。

ふだん屋根の下にいるときは堅苦しさやふたりの病人の喘ぎや命令に翻弄されて、落ち着くひまもないお路も、星の煌めくような屋根に上がるとひとが変わったかのように元気にふるまい、馬琴と肩を並べて座る。

自分も子どものころからずっと屋根が好きだった。父が大工で祖父が板金工(というか屋根葺きと昔は呼んでいた)のせいか2階の屋根の上は怖くもなんともない。始終屋根の上を走っていたくらい。父には些細なことでよく引っ叩かれたと思っていたが、屋根の上を走るくらいでは全然お咎めなしだった。家中だれも、屋根の上を走ったり、布団で昼寝(ベランダなどなく、屋根に布団を直置きで干していたので)したりしても危険と注意されたことは一度もないんですけど…。高所危険の意識が薄い家だったのか?

滝沢家の瓦屋根の上にふたりが並んで座り見上げる夜空には星が鏤められており、この屋根のシーンは見ていても楽しく爽快感があった。

やがて宗伯の死、宗伯唯一の友だった渡邊華山の投獄、お父様の力でなんとかと懇願するお路と華山からの手紙を燃やしてしまおうとする馬琴。

この辺りの重苦しさ。かつての陽気で開けっぴろげだったお路が次第になにかを懐に抱くようになるその内面が顔にもあらわれる。

 ついに光を失った馬琴に漢字はまるで知らないお路が自分が助けになって『八犬伝』を書き続けると申し出る。

ヘンもツクリも知らないお路と白内障で目が見えなくなった馬琴のやりとりは気が遠くなりそうな道に思えたが、お路は八犬士の名前はみな漢字で書けると語り、にわかな思いつきで申し出たわけではなかった。

やがて、
ついに『八犬伝』は擱筆の時を迎える。

お路の顔には深い教養と長い忍耐の時を越えたものの崇高さがあらわれていて、馬琴はお路に深い信頼を寄せて…。

加藤健一さんの馬琴とお路は最初まるで違う世界にいたのに、最後にふたりは同じ場所にいて気持ちが通じ合っている。苦しい戦いを助け合って乗り越えてきたふたり。

終演後の舞台挨拶で加藤健一さんが演劇鑑賞会という制度のおかげで自分たちは舞台に立つことができる、と感謝の言葉を述べられ、その言葉に観劇してしまった。

パンフレットにも演劇鑑賞会のおかげ商業主義に押し流されることなく舞台芸術と対峙できることへの感謝が綴られてあった。
 

 

 

 次回例会は「アルジャーノンに花束を」。


学生の方に見てもらいたいということで、この舞台に限り入会費なしの当月会費1300円で見られるようです。

詳しいことはこちらへ↓



盛岡演劇鑑賞会


ではでは♪