綾里の海 海野経(岩手県立美術館 常設展第3期展示)

岩手県立美術館友の会に、最初は(2010年)お得かな、ということで入ったんです。
翌年東日本大震災が起こり、美術館も企画展をすべて取りやめて、2010年度に入会の会員はそのまま2011年度も継続というお知らせと会員証がきました。

友の会ボランティアでは美術館が沿岸に美術館キャラバンとしてワークショップを行うお手伝いをしていたようだった。私は会員だけど、ボランティア登録はしていなかった。2011年の暮れに鬱に見舞われ、そこから回復したあたりで2012年度に解説ボランティアにも登録したんだったと思う。もう8年かー。

ということで初解説ボランティアは岩手県土沢(現在は花巻市東和町)出身の萬鐵五郎室だったんですが、

「ジブリの大博覧会」で混雑しているだろうからとかなり早く2階の常設に向かったわけで、その間、常設展示室も覗きまして。


「綾里の海」、第3期が始まった時も見ていたはずなんだけど、この日は刺さりました。

制作年は不明、海野経さんは1919生まれ1998年に亡くなっています。少なくとも3.11以前の綾里の海なんだなって。



船渡重蔵さんは綾里出身の画家で、この「ころがしぶち」は常設展3期
の作品です。救出された時の状況も作品のキャプションに紹介されています。



綾里という駅名を初めて見たときは、
あ、佐藤綾里さんの綾里だと思い、
しかも美人の里とあったので、これは…と印象に残ったです。アンジェラ佐藤こと佐藤綾里さんに聞いたら、お祖父様が漁師だったということで、「リョウ」の音の名前を付けられたそうです。お祖父様が綾里を知っていて孫娘に綾里(あやり)と付けたのかどうかはわからないですが。



●愛称:綾姫の里

綾里地区では、気仙大工(農民大工の出稼ぎ集団。家大工でありながら神社仏閣、さらには建具や彫刻までもこなし、全国的にも技術力の評価は高い)が建築した豪華な木造住宅が眺められます。




自分は父が大工だったので、気仙大工って何だろうと興味を持って調べました。






綾里には野々前に気仙大工による家々のしゅうらがあるほか、ダムの東家も気仙大工によるものだそうです。

綾里に限らず、陸前高田市、大船渡市、住田町、三陸町には気仙大工の建てた家のみならず、神社仏閣も手がけていたそうです。

農民大工ともあり、暮らしのかかった出稼ぎで腕を磨き、これはできないと言っていたのでは仕事がもらえないからなんでもやり、日本四大名工と言われるまでになったということだと思います。

陸前高田市には気仙大工左官伝承館 があります。


こちらのサイトに気仙大工について解説があります。


気仙大工は岩手県気仙地方(藩政期は伊達領)の大工の呼称です。江戸時代から南行(なんこう)といって出稼ぎを中心とした大工集団をつくり、民家はもちろん堂宮から建具、細工もこなす多能な一団でした。
山がそのまま海に落ちる地形で田畑を作れず、あっても寒冷な気候がたびたびの飢饉を生みました。そのために手に職を持つ大工になるのが手っ取り早かったのでしょう。

特に明治以後、商品経済の発達と東北本線の開通により出稼ぎが広範囲に及び、関東地方・北海道は言うに及ばず、遠く大陸に至るまでその足跡を残しています。
この人達がやがて故郷に帰り、錦を飾るような気持ちで新しい技術や工夫を披露したのです。こうして、他人とは違う独自性を重んじる気仙大工の気風が徐々につくり上げられていったのです。



自分は父が大工、祖父が板金工なのでこういう記述を読むと、胸にグッときます。

いつか伝承館と気仙大工が手がけた神社の山門も見てみたいです。