きのうは仕事が終わってから近所の大学に講演を聴きに行ってきました。友達からこんな講演がありますよーというメッセージが届いていて、
気がついたのが当日の15時半。どうしようかなーあしたは土曜日だしと思ったけど、会場まで徒歩5分だし行くことに。
ずっと工事をしていたのを見ていた建物の名前が「銀河ホール」でした。
開演に少し遅れたけど、まだ祝辞が終わったあたりで講演は始まっていなかった。
加藤麻衣さんについて、準備期間も予算もない中、市議会議員選に出て当選した人、LGBTを支援する活動をしている人、しか知らなかった。
講演ときくと演者の理論や研究を聴いて勉強するものというイメージだけど、きのうの講演は語弊があるかもしれないけれど、
LGBTじゃなくても十代の子どもたちなら誰でも聴かせたい気がした。
いくつものターニングポイントがあって、いまの自分いまの活動につながっていた。
小学校時代に偶然見たアニメのキャラクター。中学時代に出会った映画。
中学時代に展覧会を見たことから不来方高校で美術を学び、個性を認める周りの空気に伸び伸びとした学生時代を送る。一方でポスター制作の課題では社会的問題に関心を持つようにもなる。
いろんなことが周りには突然に思えても、加藤さんには必然の流れだったんだなあと。
やや早口で声も決して聞き取りやすいハキハキした声ではない。ただ10歳からの15年の濃さ急流を筏で下るような激しい生き方になぜそんなに生き急ぐのかとも感じた。この生き方には飾りの声はいらないんだなと思った。
大学でGESCO(岩手大学男女共同参画推進学生委員会)に入り、いわてレインボーマーチを行う。
レインボーマーチについて、勉強に他県の様子を見に行ったり、ニューヨークにも行って50周年のプライドマーチを体験しています。すごい行動力の向こうに、一生懸命にやらないと認めてもらえないという無意識の鞭を自身に打っているようにも思えました。
『きのう何食べる?』は連載開始時は40代の、いまは50代のゲイカップルの食と仕事人間関係を淡々と描く、リアルなマンガですが、質問の時、『きのう何食べた?』について読んだことはありますか?と訊けばよかったかな。
その中で現在弁護士で美容師のケンジにとって理想の王子様であるシロさんが高校時代、思いつめたような顔をしていつも勉強していた、とお父さんがケンジに話す場面があるのですが、
LGBTだとバレた時に人として認められていたいという思いが加藤さんにはあったそうです。
いわてレインボーマーチは第一回が2018.9.1。小中高の自殺率がもっとも高い日に決めたには、加藤さんに自殺願望があったからだと思います。
中学時代部活で部活の練習の中で暴力を振るわれるいじめを受けて死にたいという思いを抱えていたと。
第二回は台風に遭った2019.10.12。室内イベントに切り替えたそうです。
お話の中で深く頷いたのは「声を上げることに慣れる」ということ。
加藤さんに習って自分の人生のターニングポイントを思い出すとそのうちの一つは中1の1学期の終わりですね。ふだんから敬遠していた上位カーストグループの女の子がいきなり私の席に来て、
「初代ちゃんは答えがわかってるのになんで手を挙げないの」
とだけ言って去る。ドラマみたいだがほんとうだ。
いじめっ子ではないがキツい発言がこわい。私が仲良くしているような気の弱い、成績も運動も人気も下の方だがそれでも人を傷つけることはしないようにしようね、というグループの天敵である。
目をつけられた、怖い…としか思わなかったが、そのうち、
クソーッ!右手と左手の区別が未だにつかなくて笑われたくないから手を挙げない私の気持ちがわかってたまるか!と腹が立ってきて、
見てろよ!手を挙げてクラス中から馬鹿にされて蜂の巣になってやる!
というやけくそで2学期からとにかく手を挙げた。当てられたら答えた。
あら?
あらあらあら? みんなに馬鹿にされると思っていたのに誰も何も言わないよ? なんで? そのうちだんだん私は手をあげて答えることが自分のふつうになっていることに気づいた。気がついたら成績が急上昇していた。
成績は高校に入ったら当然だが急落してしまうのだが、国語は勉強しなくても答えられる科目なので自分の独壇場だった。
という流れがあって私はふだんから声を上げるトレーニングをしていないといざというときに何も声を出せなくなると思っている。
加藤さんの講演の後質疑応答があったので、質疑応答のプロの私が真っ先に手を上げ、感想と短い質問をひとつした。内容はどうでもいいと思う。テキトーでいいという意味ではなくて、講演者の話しやすい雰囲気を作る問いかけであれば内容は重要じゃないと考える。
こういう機会を使って人前で声を上げることに慣れておくことが重要だと考えるから。
私の質問は芸術的な職業で性的マイノリティの割合が高く思えるがなぜでしょうというものだった。
これについて特に芸術的な職業に多いわけではないけれどカミングアウトしやすい環境であることでそういう印象を持たれるのだと思うが、一般の人もLGBTの割合は同じだけいる。
これについて思い当たったのは、自分は左利きでさっき調べたらLGBTの割合は左利きやAB型と同じくらいだそう。
私が昔から言われて嫌なのが左利きの人って天才が多いんだってというやつ。天才もいるかもしれないが天才じゃない左利きの方が多いです…
息子はADHDだけどまあよく言われるのがエジソンもADHDだった、ってでもそれ裏返すと天才じゃないADHDはただの障害って暴言よ?
それと同じことがLGBTにも言えるのかもしれないけれど、人として認められたい思いが強烈な人が多いことからどんな分野でも傑出することはあるかもしれない。
発達障害とLGBTは違う集合だが、人と違う自分について深く考え、人と違う自分を自分が愛し大切にすることができたら、その人生は素晴らしいものになるという点では同じ。
そんなことを考えた講演でした。