こんばんは。
 
同じ本を読み返すわりには新発見が多く、人の顔も覚えられないし、キャリーも置き忘れるし、時間や場所の勘違いも多いし、もしかしてやっぱりアレ?と不安な私です。
 
村上春樹さんのいまになってみれば中期の佐々木マキさんの装画や挿画の短篇はみんなすきですが、あ、安西水丸さんとのコンビも。しかしある時から全然読んでいません。息子は主に「男ですもの」という理由で読んでいるようだけど、違う!そう! 
 
『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』では「シザース・サラダ」はよく覚えていたんだけど、
 
 
さっき偶然開いたページが
「太宰治は好きですか?」でした。まあ村上春樹さんは太宰治を好きじゃなさそうよねと思う。
 
「太宰治と三人の女」(蜷川美花監督)にも出てきた三島由紀夫が「僕は太宰さんの文学はきらいです」というあのエピソードについて触れている。映画では太宰治の行きつけのバーで顳顬が引きつったような若き三島由紀夫がいきなり太宰治に絡むわけだけど、
 
実際は太宰治の家を訪ねてだったし、
さらにその場にいた第三者によれば、
「太宰さんの文学はきらいです」と三島が言った後太宰は、
「そんなら来なきゃいいじゃねえか」と当然の返しをし、三島は詰まってしまう。
 
三島のエッセイでは阿るようなことをいいその場を繕おうとする太宰が描かれていたと思う。私は高1が太宰で高2に三島だったので、フッフーンだまされないもーんと思った。世間知らずの三島は太宰という人をこんなふうに阿るようなことを言うはずだと見越して挑発したんじゃないのか。失敗して恥をかかされた仇をエッセイで。卑怯。と思わず太宰調になっちゃう。
 
しかし、二人ともまだ小さい子どもがいるのに奥さんに全部任せて一人勝手に死ぬなんてどういうこっちゃ、と思う。三島由紀夫の自決について、奥さんと子どもを遺して、ということを書いていたのは深沢七郎だけだった。すごい常識人だなあ。みんな自決とか介錯に度肝を抜かれたように遺された家族への慰謝がない気がした。
 
 
というようなことは太宰治が好きじゃなかった村上春樹さんが知っているはずもないけど、太宰治を好きな人はそういうエピソードも読み込んじゃう。もっともっと知りたくなるのである。
 

 

カブもダイコンもアブラナ科です。原産はアフガニスタンから南ヨーロッパ、地中海。ダイコンもギリシャ原産ですからまあ意外にヨーロピアンな野菜だ。

 

 

 

 

 
山口晃さんは画家だし村上春樹さんは作家で、
風貌も年齢も体型も重なるところは少ないのだけれど、前から何か似てるなあと思っていました。
 
山口さんは散歩が似合うけれど、マラソンをやるとは思えないし、
 
すごく若いイメージだけど村上春樹さんの方が20くらい上だし、
 
何がそう思わせるのか。
 
 
 
料理かなあ。自分は食いしん坊なのでどんな文学的に深い本であっても覚えているのは食べ物についての描写なのですが、ふたりとも料理についての文章がイキイキしている。
 
 
息子の「男ですもの」もひどいが自分もなー
所詮この世は色と食。
 
ではでは♪