‪きのう見た「虹のかけら」は「オズの魔法使い」の主演女優ジュディ・ガーランドとその影のように生きたジュディ・シルバーマンの物語でしたが、6年前に見た「風と共に来たる」を思い出しました。‬


「風と共に来たる」はあの巨編『風と共に去りぬ』をたった5日間で脚本にする突貫工事のコメディです。

読んだことのある人なら、まさか!と叫ぶと思います。大長編ですもの。

『風と共に去りぬ』についてなんにも知らない脚本家に監督とプロデューサーがこういう物語だと教えながら書かせるという物語ですが、


「風と共に去りぬ」と共に監督のヴィクター・フレミングが「オズの魔法使い」で主役のジュディ・ガーランドを引っ叩いて首になったというエピソードが出てきます(でもいまWikipediaを見たら監督はヴィクター・フレミングだったのですぐ復帰したのでしょう)

 「風と共に去りぬ」は1939年12月15日公開、「オズの魔法使」は同年8月25日公開です。

「虹のかけら」の中で、自分がドロシー役だと周囲からも期待されて自信に満ちてオーディションを受けたジュディ・シルバーマンは、オーディションにやってきたジュディ・ガーランドにドロシーを奪われてしまいます。

その時の監督の言葉が、

「私のドロシーがここにいた!」

これは「風と共に去りぬ」のヒロインが決まらないまま撮影に入ったら見学に来ていたヴィヴィアン・リーを見てセルズニックがかけた

「ヴィヴィアン・リーがここにいる!」のパロディというか引用でしょう。

「風と共に去りぬ」のヴィヴィアン・リーも入念なオーディションで抜擢されたわけではなく、ポーレット・ゴダードに内定していたものを、チャップリンとの同棲が引っかかってお鉢が回ってきたわけですが、ドロシー役もシャーリー・テンプルからジュディ・ガーランドへ回ってきた。

ほんとうは◯◯が主役に決まっていたのに、急病やスケジュールやイメージが合わないなど様々な理由で急遽決まったヒロイン、というエピソードが私はすきです。そこばっかり読んじゃうな。吉行和子の文学座デビューは「アンネの日記」の代役でダブルキャストだった、というエピソードは代役の上にダブルキャストという大変さですが、そこに惹きつけられる。

「虹のかけら」は、

ジュディ・ガーランドと同じ名前、同じ年齢のジュディ・シルバーマンから見たジュディの物語ですが、

もしあのオーディションに受かっていたのが自分だったら、

彼女の人生(華やかでもあるが覚醒剤やアルコール中毒で浮き沈みもある、47年の人生)を生きたのは自分だったかもしれない、という思いが去来します。

「風と共に来たる」も「虹のかけら」もバックステージものの一面がありますが、どちらにも光と影があって、その影が光を引き立て物語を味わい深くしています。

ではでは♪