『太宰治の辞書』北村薫 (新潮社) 2015

高野文子さんのカバー装画の「私」シリーズ、新刊が出ていたなんて知らなかった。でもたまたまの偶然ですが、


映画「人間失格」を見たばかりだし、本書には「女生徒」の章もあるので、なんかいいリレーション!

編集部で青森のお土産にもらった「生まれて墨ませんべい」を前に和むところがあるのですが、

これも太宰治に因んだお菓子「津軽」の文学全集のようなパッケージのファンなので、なんで「津軽」じゃないのよーと残念である。



あの読書の好きな「私」がいまや野球部の息子がいて40代になっていて、でも学生時代と変わらず本についての調べごとが好きで、仕事以外の気になることを休日に図書館で調べて。








中高時代、自分で買う本は文庫本がほとんどだったし、栞が紐で紙質やカバーの背の色味が好きだったのが新潮文庫だったので、もし自分がいま高校生だったら、きっとこの巻末の関連タイトルを見てコンプリートを目指したと思う。これは北村薫さんというより、


この本の編集者も「私」だったらこういうことを考えただろうと思ってこうしたのでは…。自分は『ボヴァリー夫人』は高校時代に読んだはずだけど全然面白いと思えなくて、20代になって金井美恵子さんの『文章教室』や対談の中で、意識の流れについて語っておられるのを読んで読み返しておもしろさがやっとわかった。

本書に取り上げられている作家や作品のうち、芥川龍之介は20代半ばの鬱屈していた頃鬱屈ついでに文豪ミニ(ワードプロセッサー)で入力の練習に短篇を打っていたなあ。文豪ミニ…すごい名前だな。入力スピードはかな入力時代はほどほどでしたがローマ字入力になってからは全然です。

いまも思い出すと鬱鬱してしまいそうなことがあるんだけど、

本を読み耽って少し楽になった気がする。


ではでは♪