『ウマし』伊藤比呂美(中央公論社) 2018年

伊藤比呂美さんの食べることに纏わる文章のファンである。じゃあその他はと言われそうだが、伊藤さんの書くものにたべものが出てこないことはありません。

メインテーマが思春期の娘の問題でも閉経でも移民でも、食べ物の話がでないことがあろうかいやありません。たぶん自分がそういう嗜好だからだと思うけど、何を読んでいてもたべものの描写だけはカッキリ残るんでした。

さっきまで異様に眠くて、たんに風邪&低気圧のせいだと思うけど、日頃規則正しい生活をしているので、このままでは火曜日からの営業に差し障りが!

と危機感を持って起きて珈琲を淹れて(数日前に最後の珈琲豆が冷蔵庫から発見された)、息子と会話し、現在に至る。

高校一年の春から夏にかけてずっと眠くて微熱があって、金井美恵子の『夢の時間』みたいな感じだったなーと思い出す。金井美恵子さんのたべものの文章も好きだ。考えたら詩人で小説家という共通点があるふたりだったわ。

カリフォルニア在住の伊藤さんの日本のパンへの憧れは夢の中に出てくるたべもののようだ。

伊藤さんは1955年生まれなので、63年生まれの自分にもわかる味覚の思い出があって、共感する。魚肉ソーセージの皮にこびりついたソーセージを歯で扱き落とすとか。

鰻好きな伊藤比呂美がまだ熊本に住んでいた頃前夫や幼い娘たちとアゲハの幼虫を育てたという。

アゲハの1令幼虫をもらって、園芸店で買ってきた山椒の木にたからせる。2匹のはずが4匹になってる。さては園芸店で買ってきた山椒にはじめから2匹ついていたのか。と思うがまた園芸店に走り山椒を買ってきてやる。もちろんこの山椒にも卵か幼虫がついており、この攻防が延々つづき、最後のアゲハのサナギの孵化を家族一同で見守っていたら、というエピソードもある。

今年の夏、幼虫と山椒の攻防にハラハラしていた自分にはよくわかる。

前夫や画家でユダヤ系でかなり年上の夫、として登場していたいまの夫が「夫が死んで料理するのをやめた」の一文であっさり死んでいたことを知らされる。それが最後の「バナナする」。

熊本とカリフォルニアと東京を流離って両親の介護をし、3人の娘を育て、乗馬にハマったり、ズンバにハマったり、発酵物にハマったり(塩麹ヨーグルト紅茶きのこ…伊藤さん、そんなに発酵が好きならもうこの際レーズン酵母でパン焼きましょうよ、と思う。ポーランドに住んでいた時代、牛乳屋で売っている高温殺菌されていない牛乳が一日で発酵するというのもおもしろかった)、「あたし」という一人称が苦手なんだけど、伊藤さんの「あたし」は無頼派っぽくて厭じゃなかった。

しかし自分がハタチの時に偶然図書館の棚で『感情線のびた』に出会ってから35年経つわけですが、考えたら中学からハタチくらいまでに出会った作家の本はいまでも読んでいるなあと。

そのくらいに出会ったアイドル、薬師丸ひろ子ちゃんとか斉藤由貴ちゃんとか、やっぱりいまでも気になる存在だしなあ。嗜好というものは一生変わらないものかもしれない。



食べることや自分や家族のために料理すること、好きなたべものは、いろんな思い出に結びついている。

ただそんな博愛主義的な空気のようなたべものをみんなで食べるより、

家族が自分以外はみんな嫌っている食べ物をひとりの時に齧りながら伊藤比呂美の文章を読むというのが合うような気がする。