‪たまたまなんだけど『演出術』(蜷川幸雄+長谷部浩)を読んだ翌日「人間失格 太宰治と3人の女」(蜷川美花)を見たわけで。‬

‪蜷川幸雄が三島由紀夫の戯曲について語っている言葉がきょう自分が蜷川美花の映画について感じたことに重なった。‬


「レトリックが華麗すぎて…略…ここまでデコラティブに言葉を書きつけられたら、俳優が介在する余地がないんじゃないか」

凄い映像美だと思ったけれど空虚さを感じる。

自分は映画でも演劇でも落語でも音楽でも、感情の紐をギューッと引っ張られて泣いたり笑ったりしたい人間なんです。野暮ったい見方かもしれないけど。

‪蜷川美花がつぎに三島由紀夫をやったら合いそうな気がするな。‬やってほしい。

蜷川幸雄はいやいや引き受けたとはいうものも、三島由紀夫の核は何か考え、死とは裏返しに倒錯したエロティシズムがくっついている傾向が三島さんにはあった、と語る。

このときの「弱法師」で俊徳を演じた藤原竜也さんが「人間失格」では坂口安吾だったんだけど、合わない気がした。自分の考える坂口安吾と違う…メガネはかけてたけどうーん。違う作品で藤原竜也さんを見た時は美形なのに泥臭くて素敵、と思ったので合う合わないだと思う。

もし「人間失格」で三島由紀夫役を藤原竜也さんが演じていたら、でも「太宰と三島」がテーマじゃないからダメかな。

『演出術』では唐十郎に対する劣等感を赤裸々に語り、野田秀樹への愛で野田演出を腑分けしたりする。


『麿赤兒自伝 憂き世 戯れて候ふ』でも若き日の唐十郎との邂逅について、いきなり読んでくださいと渡された戯曲のわずかなセリフですっかり惚れこんでしまう姿がビビットだった。


また、森村泰昌さんの『女優家M 演技の花道』に出てくる野田秀樹作・蜷川幸雄演出『パンドラの鐘』についても語っていて、もちろん私は見ていない舞台ではあるけれど、女優家森村泰昌さんと演出家蜷川幸雄さんの両サイドから読むことができてただ単にうれしい。

聞き手の長谷部浩さんの問いかけは読んでいて意地悪ではないが逃げ腰でもなく、蜷川幸雄さんのスランプ時代についても言葉を引き出している。

それにしてもきのうは赤塚不二夫さんの生き方についてお嬢さんのりえ子さんのお話を聞いて、

きょうは蜷川美花さんの映画を見て蜷川幸雄さんの『演出術』を重ねてみたり、

父親と娘について考える二日間だった気が。

偶然だけど赤塚不二夫さんも蜷川幸雄さんも昭和10年生まれだった。