『師匠歌丸 背中を追い続けた三十二年』桂歌助(イーストプレス)

歌丸さんが好きだったので、図書館から借りてきた本ですが、読んでいる間中、水木先生のチーフアシスタントだった村澤昌夫さんの『水木先生とぼく』が思い出されてならなかったです。

まず作者がふたりとも偉大な師への尊敬の気持ちを持っていて、それがいい。

歌助さんは東京理科大の数学科出身で、

故郷新潟県十日町に帰って母校で数学の教師をやりながら野球部の監督になって教え子たちと甲子園へ…という堅実で涙が出るくらい素朴な夢があったのですが、もともと無口で話し下手な青年がなぜ落語家になろうと思ったのか。

師匠を歌丸さんと決めて横浜の自宅を訪ねて三度目にやっと勇気を出して奥さんに弟子入りを話す。この辺りの緊張、逡巡、手に取るように伝わってきます。

その後若竹に歌丸師匠を訪ね、試されているような1ヶ月の日参があって弟子入りしたわけですが、歌丸さんらしいと思うエピソードの中に歌助さんの人柄や師への敬愛がある。

地方での寄席にお供をしていた前座時代、先代の圓楽師匠、小三治師匠との三人会で小三治師匠ががネタ卸しをした。ふつうネタ卸は地元の独演会でやるものなのに千人も入る大舞台で。体調のすぐれなかった歌丸師匠も刺激されてネタ卸をしたのが「竹の水仙」で、好きでよくCDで聞いている噺なので喜んだ。名人左甚五郎ものでは「ねずみ」を盛岡公演で見たけれど、もう惚れる。

思わず泣いてしまったのは、継母に陰で折檻されていた子どもが、着物を脱いで傷を父に見せて、おっかあ、なんで死んだ、と絞り出すように言うところ。オンボロ旅館が左甚五郎のねずみの細工をキッカケにお客が引きも切らず大繁盛、一方継母と愛人に乗っ取られた旅館は落ちぶれて、という噺だけどこれも歌丸師匠がこれまで面白くないと言われていた作品を掘り起こしたもののひとつ。




勤めはじめてまもない頃水木先生の原発ルポの挿絵を見てその画力に打たれる深沢くん(マンガの中の主人公は深沢くんです)。


村澤さんもアシスタント募集に応募して住み込みアシスタントになったわけですが、2人の師匠に共通してこの一番弟子への愛情が深いのに、それをあんまり表に出さない。村澤さんは水木漫画につきものの「テンテン」で目が疲れていたところある日机の上にヤツメウナギのサプリメントが…。

また水木先生は年末年始に海外旅行に行くことが趣味だったので、ある時期仕事が少なかったので村澤さんを誘って(もちろん村澤さんの分は村澤さんが払う、こういうところが水木先生らしい)ヨーロッパ旅行へ。


テンテンおそるべし!
ミケランジェロのダビデ像をテンテンが立体化している。

「案外たいしたことないなあ」はダビデ像の肉体の一部についての発言ですが、SNS的にそのコマをここに出すと記事削除もありうるので、ぜひ村澤さんの著作でその迫力の画力と「テヘッ」の脱力のコントラストをお確かめください。


村澤さんも水木先生の背中を追ってずっと絵を磨いていらしたんだなあとこのヨーロッパ旅行の背景の凄さに目玉が飛び出しそうです。

歌丸師匠と水木先生には、偉大な師というほかにも共通点がありまして、


歌丸師匠も水木先生もお酒は飲まない飲めないのに、

お弟子さんの歌助さんも村澤さんもお酒が好きだった笑。

歌助さんが夢は歌丸師匠とお酒を飲みながら腹を割って話すこと(執筆時点では歌丸さんはご健在で、弟子入りからずっと入退院に付き添ってきた歌助さんは不死鳥のようにまた高座に立つ歌丸師匠を信じていたんだと思う)、と書いているのが可笑しくも切ない。

どちらの作品もオススメです。すばらしい師に出会ってその背中を追い続けられることは人生における大きなしあわせだと思う。