こんにちは!

いま上田駅に向かう上田バスに乗っております。

と、書いてから駅でお土産を買ったり、ホームで浅草から上田の妹さんのところに遊びに来て帰るところという、アルトが素敵な小母さんと話したりして1時間経過。

いやー、自分でもべつに演劇関係者でもないのに大会に参加ってどうなのでも簡単にと思ったし、村山槐多展2回も見なくてもいいじゃと思ったけど、でも来てよかった!
ビタイチ後悔してない。むしろ来なかったら勿体なかった。

渡辺えりさんのお話は豊かでカラフルで音楽的だった。声がすごくよくて、きのう「私の恋人」福岡公演を2回やって上田に来て、というハードスケジュール(上田大会の後岩手県久慈の公演もあるのだ)にもかかわらずどのお話も楽しかった。


71歳の沢田研二さんのステージをこの上田サントミューゼの舞台で観て、71のジュリーが頑張っているなら64の自分も頑張ろうと思ったというお話。

ジュリーファンで、エッセイに押入れに美少年を隠しておく17の頃の妄想を書いていらっしゃったのですが、もちろん美少年のモデルは沢田研二さん。好きなあまり仲間にジュリ子と呼ばせていたのは20代で劇団を旗揚げした頃のエピソードだったかな。

いま公演中の「私の恋人」について、戯曲を「三婆」の公演をしながら公演先の土地を歩きながら、主人公の家の職業が決まらないと書き出せないと悩む話。そして時計屋を思いついた時思わず「あ!」と叫んだ話。

そこからは2週間で書き上げ稽古に入る二日前には本になっていたこと、

小日向さんにセリフを覚えるのに1年はほしいと言われていたけど脚本を読んだ小日向さんは「おもしろい」と喜んだこと。

どんなお話か少し話していただいて、原作も読みたくなってしまった。再演で盛岡に来てくださらないかな。

宮澤賢治について描いた「天使猫」と高村光太を描く「月にぬれた手」に関連して、戦争中学徒動員で武蔵野工場で零戦を作っていた(もしかしたらうちの祖父と同じ工場かも!と思った)お父様が19歳でみんなの代わりに死を引き受ける覚悟をした時(武蔵野工場にB29の空襲が来るという時最後まで工場に残るものが必要だった)、

高村光太郎の「必死の時」という詩に心を落ち着かせることができた、と。

最後まで工場に残る候補は他にもいたけれどお父様はその学生を尊敬していてかばった。けれどもその青年は不幸なことに空襲で亡くなり、

7年ほど前、その青年のお墓がある土地を知って山梨の廃村にお墓詣りに行ったけれど、
その村は賢治の親友だった
保阪嘉内の出身地だったとか、いろいろ繋がって行くお話も興味深かった。宮澤賢治についても高村光太郎についても膨大な資料を読んだえりさんのお話は生き生きとして、それからそれから、ともっと聞いていたいお話ばかりだった。

最後に歌を2曲歌って、歌について少し話してださったあと、



えりさんの真っ赤なドレスと同じ、真っ赤な幕が下りたのだった。

「私の恋人」の劇中歌「肉の海」とスペイン語のバラード「ロコへのバラード」。

「ロコへ」というのは気狂いの意味で、スペイン語ができる人にバラードを英語に直訳してもらって、それをえりさんが訳した歌なんだそうです。20代の頃に訳して歌って、ということだった。

このロコへのバラードの歌詞も歌うえりさんも狂気が萌えるようで最高だった。講演会だけでもうれしいのに最後に歌まで。

そしてサインもいただいてもはや言うことはありません。

講演会を早めにしていただいたおかげで、ハラハラしながら途中で退席という悲しいこともなくて余韻に浸りつつ上田を後にしたのでした。










誰かに撮ってくださいと頼めばよかったなー。


講演会のあった大ロビー。実際はもっと純度の高い華やかな赤でした。

渡辺えり講演会はメモを取りながら聴いたけれど、間違って覚えていることや聞き違いもあるかもしれません。あらかじめごめんなさいと誤っておきます。

ではでは♪