こんにちは!

盛岡はさんさの間、お店も午前中のところが多いのでうちも便乗しました。

暑さが夜になっても残っているせいだと思いますが、疲れが抜けなくて、この早めの店じまいによって少し回復している気もします。

きょうは岩手県立美術館で開催中の「ホキ美術館展」のギャラリートークに参加してきました。


途中からだったのですが、人の声を耳で聴きながら絵を目で見る、という各器官の交錯が心地いいです。私は話を聞くときは手を動かさないと耳の蓋が開かない仕様のポンコツなので、鉛筆が手放せません。

また、ひとりではなく大勢のお客様と一緒に(って私も参加者の一人ですが)見ることで、いろんな興味の方向を知ることができます。

ギャラリートークでは解説のなかったある絵が私は好きで、ある女性がその絵の前でメモを取っていたので、でしょでしょ!と心の中で叫びました笑。


廣戸絵美「階段」

私はコンクリートや階段や大理石や反射などが好きで、美術館では私以外には誰も撮らないようなへんなところに夢中になって撮っているのですが、この絵を見た瞬間、 

いたーーーーっ!

と思いました。自分がいいと思っているものをこの人が描いてくれたーっと。


石黒賢一郎「真◯◯・マ◯・イ◯◯◯◯◯◯」

青森県立美術館・静岡県立美術館・島根県立石見美術館による「美少女の美術史」で出会ってからずっと好きなマリちゃん(仮)だ。メガネフェチなので、メガネをかけている人がメガネを外した時の顔も好き。



図録を撮ったら写真に見えてしまう。北海道の炭鉱跡だそうです。鉄筋や廃墟が好きなのでこの絵も好きだなあと思いました。


小尾修「雨あがり」。

どうでもいいことですが、この人の絵が好きっ!と思う画家(写真家でも映画監督でも料理人でも)のつけるタイトルもまた好きだ。「雨上がり」じゃなく、「雨あがり」でしょここはやぱし、と思う。

不思議なことにどうも好きになれないと思うと、やっぱりタイトルからして合わない。


諏訪敦「Untitled」

諏訪さんの大切な家族(おそらくご尊父)を亡くされた時のえじゃないかと思っていた。ギャラリートークでお父様を亡くされて15年経ってやっと描くことができた、黒い墨の跡のような点々は記憶のノイズだそうです。亡くなった時、そのお顔を写真に撮って、その写真を見ながら描いたということで、熊谷守一の「陽が死んだ日」の気がついたら絵筆を握って描いている自分がいた、気づいてやねた、という激情は感じられないけれど、墨のような乾いた血痕のような点々が忘れられない。




三重野慶「信じてる」

この絵は展示の最後にあって(岩手会場特別展示作品を除く)、撮影OKにもなっています。

実物は女の子の瞳に誰かが写っていて「信じてる」ということは作者の恋人かなあとも思うし、

作者の才能を信じている、三重野さんの中もう一人の自分であるようにも思える。



展示室を出たところに置いてあったホキ美術館のチラシには、いいなと思った作家のべつの作品があって、ホキ美術館気になるわしかしと術中にはまったのでした。



スペイン写実絵画というと林アキコさんの「かくかくしかじか』の先生を思い出してしまう。


ギャラリートークのあともう一度じっくり絵を見て、ひと休みののち、きょうからの常設展示2期を見に行った私です。

ではでは♪