のうは何年かぶりで水沢に行ってきました。
帰郷、といいたいところですが、実家はすでに更地になっておりますし(その後どうなったかは知らない)、両親もすでに鬼籍に入って久しい。
 
田村晴樹・飯坂真紀二人展が水沢にあたらしくできたギャラリーで開催中(7月10日まで)だったので、見に行こう!と思って。
 
 
 
それだけだったのに、水沢ICを降りて、見慣れた道を走り始めたら、もう郷愁がとまらない。なんでなんでなんで、ってくらいみんな懐かしい。
 
道と風景にやられた感じ。水沢のこの田んぼがすごくきのうはしみた。

 

 
水沢駅はすっかり近代化してしまったのでそれほど郷愁はそそられない。昔の古い駅舎のころ帰省のたびにこの駅に降りて、たいてい家まであるいて帰った。

 

 

駅前のグリーンホテルのなかにレストランが入っていて、公務員試験のかえりに友達と入った。彼女は外食になれたふうで、そのことにも、公務員試験の問題がほとんど全部解けたらしいことにも気が引けて、自分は人生の経験値も低いと思った。

 

そんなことばで思ったわけではないが、自分は学力も足りないけれど、ふつうのひとが当然のようにするいろんな経験とか常識がないということはこの後もずっとコンプレックスだった。

 

駅前のあの床屋のおやじは健在だろうかとか、当時つとめていた店のとなりにミスタードーナツができたときは、水沢にも文明が!と思ったけれど、いまは夢の跡だった。そんな懐かしさと痛さを感じながらてくてくあるいて(私のことなのでもちろん間違えたりもするが、ふつうだったら誰も迷わないわかりやすい場所です)、
 
ギャラリーアン到着。
 

 

 

 

この日は田村春樹さんが材楼で、大学では版画をやっていらしたこと、版画ではよくつかわれているアルシュ紙を水彩につかったら、絵具のしみ込み具合がちょうどよくて、それから水彩をやっているということ、

 

私は絵を描く人は線というか形がいちばんで、色はその次のものなんだろうとなんとなく思っていたけれど、色をつかいたくて、という言葉があったときはうれしかった。私は水墨画やペン画もすきな作品はすきだが、色がすきなので…。

 

田村さんの水彩のぼかしとグラデーション、色彩と意外性のあるかたちは詩のようだと思った。

 

水彩は俳句、という喩えも印象的だった。

 

飯坂真紀さんの「いっとうのひょう、とうひょうにいく」のポストカードをいただく。この絵は前回、盛久ギャラリーで拝見してすきな絵だった。投票にいきましょう。だいじな権利です。

 

ここにきたいちばんの動機は「水沢の米倉庫」の絵をみることだったけれど、ポストカードの水田より虹色がかって輝くな水田がよかった。水田に建てられている米倉庫は私にはなじみ深い風景だった。

 

帰りに青田が懐かしく愛しかった。青田が黄金の稲穂になってさざ波のように揺れるのをみながら自転車をこいで中学校高校にかよった。そんなことも思い出した。

 

建物の絵を見ると、歴史ということを考える。その建物が見てきた人と街の時間ということだけれど。