駅前のグリーンホテルのなかにレストランが入っていて、公務員試験のかえりに友達と入った。彼女は外食になれたふうで、そのことにも、公務員試験の問題がほとんど全部解けたらしいことにも気が引けて、自分は人生の経験値も低いと思った。
そんなことばで思ったわけではないが、自分は学力も足りないけれど、ふつうのひとが当然のようにするいろんな経験とか常識がないということはこの後もずっとコンプレックスだった。
この日は田村春樹さんが材楼で、大学では版画をやっていらしたこと、版画ではよくつかわれているアルシュ紙を水彩につかったら、絵具のしみ込み具合がちょうどよくて、それから水彩をやっているということ、
私は絵を描く人は線というか形がいちばんで、色はその次のものなんだろうとなんとなく思っていたけれど、色をつかいたくて、という言葉があったときはうれしかった。私は水墨画やペン画もすきな作品はすきだが、色がすきなので…。
田村さんの水彩のぼかしとグラデーション、色彩と意外性のあるかたちは詩のようだと思った。
水彩は俳句、という喩えも印象的だった。
飯坂真紀さんの「いっとうのひょう、とうひょうにいく」のポストカードをいただく。この絵は前回、盛久ギャラリーで拝見してすきな絵だった。投票にいきましょう。だいじな権利です。
ここにきたいちばんの動機は「水沢の米倉庫」の絵をみることだったけれど、ポストカードの水田より虹色がかって輝くな水田がよかった。水田に建てられている米倉庫は私にはなじみ深い風景だった。
帰りに青田が懐かしく愛しかった。青田が黄金の稲穂になってさざ波のように揺れるのをみながら自転車をこいで中学校高校にかよった。そんなことも思い出した。
建物の絵を見ると、歴史ということを考える。その建物が見てきた人と街の時間ということだけれど。