「東日本大震災復興祈念伊藤若冲展 若冲」(〜5/6)、見ごたえがありました。

いままでも若冲展や若冲の作品が出品されている展覧会に足を運んでいたので、またお目にかかった作品もありましたが、大半がはじめましてでして、ああきてよかった!の思いも大きくなるわけで。


福島県立の隣には福島県立図書館が通路で繋がっています。

きょう初めて気づいたのですが、ここに私がいる可能性もあったんだなって。福島県中級公務員司書で採用された5人のうち、3人がここ勤務(だったかな?)。私ともう一人が高校の司書に配属されたんでした。もしあの時県立図書館に配属されていたら、図書館の休憩時間に美術館ということもできたわけだな〜と思ったり。まあ5人に残っただけでも自分の学力を思ったら奇跡なので、県立図書館は無理だったと思う。


若冲展は5章に分かれていて、
第1章「若冲、飛翔する」から天明の大火後の第5章「若冲、新生する」まで、いままで見てきた展覧会より若冲さんが親しみやすいタイトルです。

若冲さんは江戸時代の人ですが、江戸であっても平成であっても、ひとの心の形は変わらないものだなあと。

「隠元豆・玉蜀黍図」(双幅 和歌山 草堂寺)の特に隠元豆と蛙が気に入ってしまいましたが、この蛙は「動植綵絵」の「池辺群虫図」の中にそのままの形を左右逆にして登場するのだそうです。

10年くらい前まで私は水墨画がまったくわからなくて、カラフルじゃなきゃつまらんとまで思っていました(笑)。

いまは線のおもしろさが味わえる水墨画もすきです。

若冲の水墨画は千葉市美術館「若冲アナザーワールド」(2010年)でまとまったものを見て、そこで水墨画のおもしろさを知ったのですが、今回いいなと思った作品は水墨画が多かったです。


もう可愛いとしか言いようがない。

若冲の描く動物は応挙の犬や国芳の猫とは違う、実際の動物とはずれたフォルムになっていて不気味で可愛い、若冲独自のものだという気がします。

「猿猴捉月図」(キンベル美術館)

子猿が池に映った月を捉えられるように親猿が腕を伸ばしているところだそうです。まんまるの顔に型染でもしたような図案的な目鼻!

細長い腕と蔓の緊張感。筋目描きの猿のふわふわした毛並みの質感。

とにかく幅いっぱいに大きく勢いよく描かれた「蔬菜図押絵貼屏風」(六曲一双)も、こんな画材を若冲以外の誰が描くか、と思うと痛快な気さえしました。

大きな青物問屋の旦那だけに野菜や果物への親しみと観察眼はひとしおだったこともあるでしょう。

「果蔬涅槃図」(京都国立美術館)は後期の出品できょうはお目にかかれなかったのですが、いままでに3回見ていて好きな作品です。涅槃図なのに野菜達のパラダイスと言いたいような楽しさに溢れているのです。 



佐賀県武雄市の鍋島家資料として、プルシアンブルーやそのほかの顔料が包み紙とともに出品されていて、その資料も興味深かったです。和紙に丁寧に包まれ保管されていた顔料から、当時の絵師の姿も浮かぶようです。


第5章「若冲、新生する」は、天明の大火(1788 若冲73歳)に遭って住む家も失った若冲が、それでも「蓮池図」をはじめとして描いた絵に東日本大震災復興祈念を重ね合わせる、この展覧会の肝だったと思います。

私は「蓮池図」より、いちばん最後に展示されていた「伏見人形図」「伏見人形七布袋図」に力をもらった気がします。

伏見人形は京都の伏見でお土産に売っている素朴な土人形ですが、

割れたら元の稲荷山の土に還るという伝説があって(落語の枕で聞いたのをなんとなく覚えていただけですが)、見ているだけで心が温められるような伏見人形の絵に、復興祈念を重ね合わせました。

解説ではなぜ七布袋なのか、というところに伏見の七義民の史実を繙いており、傲慢な伏見奉行に抗議する義民と牢死という酷い仕打ち、そこに自らも錦小路高倉市場の営業停止事件に三年も再開のために奔走した若冲が無関心でいられるわけがない、と。

「伏見人形図」をはじめて見たのはたぶん細見美術館じゃなかったかと思いますが、その時の自分には見えなかったものが増えた気がします。

今回屏風図など大きな作品が多かったこともあり、ひとの頭の間から覗くというようなこともなく、人気の展覧会で人は多く入っているのですが(自家用車は駐車場待ちで大変長い行列だった)、ゆっくり何度もすきな絵を見られました。

後期ではまた知らなかった若冲の絵との出会いがあると思うのですが、厳しいかな…。息子は来てよかった!楽しかった!だそうです。彼も最後の「伏見人形七布袋図」が可愛くて好きだそうです。息子にも見せてやれてよかったな。

ではでは♪