奥付を見ると、

1986年9月10日発行
1986年10月15日3刷

とあり、さすが中島みゆき、この本は中島みゆき初の小説集としてかなり話題になったのを思い出した。私は単なるファンなので、みゆきさんのものならなんでも手に入れたい。今と違ってウェブで画像検索なんてないから、雑誌にみゆきさんが載れば買うし、記事を切り取っておくし、みゆきさんの記事やちょっとした顔写真が切り抜かれて菓子箱いっぱいになっていた…なんてよくあることで。

中島みゆき初の小説集は思っていたのと違った(笑)。なんかもっとこう歌の世界を煮詰めたような、こわごわ覗きこむものを想像していたんです。その後第2弾も発売されて、そちらも買った。ファンだからな!

天沢 退二郎が中島みゆきが小説を書いたということで歌の世界から文学へ移るのかと思い買って読んだけれど杞憂だった、とたしか『中島みゆきを求めて』の中で書いていたのも覚えている。もちろん中島みゆきの名に惹かれて読んだわけです。

中島みゆきがすきだったのでその名が出てくるという噂を聞きつけて、大岡昇平の『成城だより』も読むし、唐十郎のドラマ『安寿子の靴』や『雨月の使者』で中島みゆきが音楽(というかテーマ曲)を担当したと聞けば、ドラマも見るし、ドラマの中で歌われた歌を、CDになるまで何年かあったんですが、ずっと忘れずにいたりする。

残念ながらみゆきさんはますますうつくしく深く高く澄んでいくのでみゆきさんのせいではなく、私が体力がなくなったせいで、昔のようなファンっぷりは発揮できないのだが、

『女歌』は明らかにみゆきさんのいわば主戦場ではないところなのだが、何十年も愛読している。

「エレーン」の元となった事件をみゆきさんの視点から深夜放送のちょっとせっかちでドジで可愛いみゆきさんを思わせる文体で書いてきて、最後に事件が起きてヘレンは殺されてしまう。

コーラスの和ちゃんこと杉本和世に取材したままを書いているようで、ふと、業界の闇を垣間見てしまう「コーラス・ガール物語」。

みゆきさんの学生時代の年上のちょっとやばい世界に首を突っ込んでいそうなMの話はなんとなくフィクションっぽいなと思った。『学生島耕作』に学生運動のことが出てきて、何十年かぶりで、あー、こういう空気だったのかと納得した。

というように何十年も読んでいるので、最初はまるっきり理解できなかったこともだんだん共感できることになっていたりする。

中島みゆきが『女歌』を出した頃は、アルバムが新しい試みを重ね、国技館で「歌暦」をやったりしていた頃で、今思えば『女歌』も「夜会」への布石だったのではないかと。

当時はあまり好きでもなかった「23:00熊本発鹿児島行き急行バス」がこの10年は好きでよく読み返す。

「夜行」や「流星」の歌詞が浮かぶような場面が出てくるけど、長距離をバスに揺られて旅するコンサートツアーの描写に、全然違うが大食い王のバスを重ね合わせたり、長距離バスのトイレ休憩で外に出た時も、ああ、いま流星流れないかなーと思ったりする。

コンサートという非日常を生きている歌手(みゆきさん)が、ホテルのバスタブで洗濯をしているところも可笑しいけどリアルだなあと思う。昔は全然目に入ってなかったというかそこまで読んでいなかった(笑)。

しかしもう33年経つわけで、みゆきさんも60代になりこの本を書いていた頃より大人になっているわけですよ。

しかし私はいまだにこの本を捨てきれず(とんでもなくボロボロだがしっかりした装丁なので綴じ糸が切れたりしない)、

この本の中の「みゆきさん」はあれだ、アンネ・フランクの親愛なるキティさまのような…。

冒頭で出てくるのはママと名付けられた猫。

さあママ町を出ようよ激しい雨の夜だけど(「流浪の詩」)

この猫もいつの間にかこちらの肩に乗っているような気さえする。