星新一だったと思うんだけど、めずらしく筒井康隆風に一人称「おれ」のショートショートだった。夢を見る自分とそのための夢劇団というような…もう一度読み返して確かめたいけれど、新潮社文庫ということ以外思い出せない。なんて言って筒井康隆のショートショートというオチだったらすみません。

夢がどういうふうにできるのか、中学あたりからよく考えていた。夢を毎晩見る体質だからです。この体質は遺伝するらしく、父も弟も毎晩夢を見てふつうに色がついている。

夢に色がない方が多いと知った時は、じゃあ夢を見る楽しみが減るじゃないかと気の毒に思ったが、

どうせ儚く消える夢に色があってもなくても気にしない人の方が多いんだろうなあ。私は夢が楽しかったりすると、一日じゅううれしいし、不吉な夢や辛い夢を見ると起きてからも引きずる。

おととい見た夢をさっきふと思い出したので忘れないうちに記録しておこうと思って。

私は 女友達と約束をしている。休みにどこかに行こうという話なのだが、同じ日に再婚希望の相手からも誘いをもらう。再婚相手の男性の顔は全然覚えていないが、連れ子の女の子は店のお客様だった。女友達といったが、実際の女友達ではなく、その日ご来店のお客様だった。

まあ私の世間がカンパーニュ圏内という限られた世界にあるということも読み取れる夢だが、

再婚したいからというより、日中、父親に虐待されて死んでしまった(殺されたとまでは言えない)女の子のことを考えたからだと思う。

ずっと考えていたわけではないんだけど、夢って現実に重要視していたことを無視して独自のルールによってキャスティングするからね。

夢の中の再婚相手は顔を見せないし、特に強い口調で何かを押しつけられた訳ではないのだが、

友達と会うことを措いて再婚相手の都合に合わせることになってしまい、友達にはいいよいいよと言われるのだが申し訳ない気持ちになる…

私は現実では事件の後世間から責められていた母親について同情的で、子どもを連れて家を出ればいいとか警察に通報しろとか言うほど簡単ではないし、もう身動き取れないほど夫の恐怖支配にやられていらのでじゃないか、

と考えていたんだけど夢はもっと曖昧な感じで事件とも自分の現実とも違う。でもあの事件が材料の一つになっていたのは確かだと思う。

 夢のキャスティングは私の場合、日中に会った人であることが多く、

夢の中で憧れの歌手や女優に会ったこともほとんどなく、現実に地続きです。飛ぶ夢なんか一度も見たことがない。ぴょんぴょんジャンプして屋根より高いところまで飛ぶくらいで、鳥のような鳥瞰の景色は出てこない。

夢の中でご飯を食べるところで目が覚めたという話はよく聞くけど、私は食べるし、夢で食べたものを起きてから食べたくなったりもする。夢の中でトイレにも行くしお風呂にも入るし映画館にも行く…だからたまに夢で見たことなのか現実だったのかわからなくなる。

たまに…何年かに1回くらいだけど、ものすごく長い長い夢を見る。

夢の中で何年も過ごす。

起きてから全てが夢だったことが悲しくてたまらない。戻りたいと思う。浦島太郎って、私みたいな夢体質の人間が見た長い夢が原型なんじゃないかと思う。