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 うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間 先崎 学 (文藝春秋)

 

ネットで気になっていたのですが、こちらもブックポートねぎしで実物を手に取ってみて買いました。

 

私自身が子どもの頃から落ち込みやすく、うつっぽくなりがちで、実際にうつと診断されて通院したこともあるので、

 

うつ病体験のエッセイコミックや手記、お医者さんンが書いたうつの本を幅広く読んでおります。まあいちばん最初のうつ本は北杜夫さんですね。北杜夫さんの登場によってうつの認識やハードルはだいぶ下がったと思われます。

 

といっても、精神科の臨床医である先崎九段のお兄さんによれば、

「偏見はなくならないよ」ということで、これはほんとうにそうだなと思います。うつだから差別しようというような悪意はなくても、変に同情されたり、的外れな励ましをしたりするひとを見ると、実際に病気と向き合っているドクターや患者さんはたまったもんじゃないだろうなあと思います。

 

先崎九段はある日を境にうつになります。そのある日とは誕生日で、その前まで多忙を極め、電話や仕事の依頼の多さからいっそこの期間だけ事務所所属になりたい!と思い実際に問い合わせてみるほど。長年かかわってきたマンガの映画化と将棋界を揺るがす「不正ソフト使用疑惑事件」(業界外の人間からすれば、そんなこともあったな、となってしまうことの残酷さをいま感じました。申し訳ないがほんとに部外者にはそんな感覚なんです)の波で、休みが取れず、おそらく自分では気づかないうちに疲れ切っていたのだろうと思います。

 

事件によって悪いイメージのついた将棋界を、映画封切の勢いで盛り返したい一心で仕事を引き受けすぎてオーバーワークになってしまった。このオーバーワークからうつになるひとは多そうです。私も長年、いろんなケースについて本やマンガを読んで研究につとめてきたので、過労はよくないと思います。過労は過労でも、前向きな過労というか、自分のためにする過労ならまだ大丈夫だと思うのですが、そこにやらせられている感じとか、人間関係が絡むと悪化しやすいと思います。

 

先崎九段はあっという間に悪化し、でもほんとうによかったと思うのは奥さんとお兄さん(精神科のドクター)が連絡を取り合い、うつになった先崎さんを入院させる手配をしてくれていたことです。ほんとうによかった。

 

入院の間のことも、将棋をすることによって少しずつうつから抜けていく様子も、本人の手で描かれています。こんなことは書きたくないと思われるようなことでも、潔くさらけだしているところに打たれます。

 

本書の最後、ほんの3、4ページに中学時代のいじめについて書かれています。その時も将棋の力で切り抜け、今回もうつに対する偏見があっても負けない、と断言しています。

田中圭一さんの『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』の中でも、仕事で必要とされているということが自信になり、うつを抜けられたというエピソードがありました。認められている、必要とされているということはほんとうに人間にとって大事なことなんだなとあらためて気づかされます。

 

この本を書きはじめた時は完全にうつを抜けた時ではなかったと思うのですが(うつ病回復期末期、とご本人はおっしゃっています)、書くことによってもうつを切り抜けられるはずだという力を得ていたのではないか。

 

書くことは読むこと以上にひとりにならないとできないことなので、ひとりになる時間を失うとうつになるけれど、ひとりの時間を深められたらうつを抜けられるのではないかというふうに思った私です。