この季節、工房に入ると湯気とコーヒーの香りで、一瞬30年くらい昔の喫茶店を思い出す。スパゲティナポリタンとかオムライスがメニューにあるような。


当時喫茶店に入るのはすごく贅沢なことのように思って、いい気になっていた。ひとり暮らしだと外食の方が自炊より安上がりにつくこともあるのだが、


家でインスタントコーヒーを淹れれば1杯30円くらい(もっと安い?)なのに喫茶店で450円もするウィンナーコーヒーを頼み、家で有り合わせの材料でもできそうなスパゲティを外でたべることの後ろめたさと、なにかを踏みつけにしている快感。


踏みつけにしているのは母の呪いである。


私が贅沢に恐怖を覚えるのは育ちのせいということになるんだろうなあ。


私は自分では貧乏な家庭に育った自覚はなかったのだが、弟と30代になってじつはうちは貧乏だった?と話して、それまでふたりともふつうだと思っていたのだ。


しかし、


宇宙船のハッチみたいな床に取り付けたドアを開けて2階に上がるとか、ベニヤの壁をめくるとヒヨドリ巣を作っていて卵から成鳥までのひと通りを覗き見できたとか、祖父の朝ごはんはパンの全面耳で私もそれとスキムミルク、マーガリンをバターと呼んでいたとか、


なんについても、


家で作ればタダなのに、


と思わず思ってしまう癖とか、


貧乏だったんだろうなあ他人事だけど。


ごはんはおいしいし本は図書館から借りてすきなだけ読んでいたし給食費とか教材費はいつもお釣りのないように揃えてもらっていたし、


貧乏って年が越せないとか、ボロボロでつぎ当ての服とかひもじいとかミンチン先生とかベッキーとか、特別誂えのものだと思っていたので自分が当該とは知りませんでした。


映画はテレビでやるんだから高いお金を出してまで見に行かなくても、外食は無駄遣いだとか、まあいろいろ。


父が大工だったし祖父が板金工で母が中華食堂パートなので、実際なんでも作ってもらって事足りていたのもほんとう。お店で出されるようなラーメン、中華丼、カツ丼、餃子、オムライスが出てくるし。毎日じゃないですが、外食しなくったって母がつくるしとなるでしょう。


女の子だと流行の服が買えないわが家は貧乏、と気づくと思うが、無頓着だったし目立つのが嫌いだったので新しい服が嫌だったのです。新しい服で登校すると必ず話しかけられるでしょ。あれが恥ずかしくて嫌だった。親戚からお下がりが私には殺到していたので、お下がりを喜んで着ていました。ジェルシャー・アボットの気持ちが全然分からなかった。ごめんよ。



実質の貧乏が家の器用な人たちの働きでけっこうカバーできていたんですなあ。借地だけど庭がだだっ広かった(田舎ですから)のも貧乏を自覚させなかったと思う。



それはそうだが、文化面については節約って意味がないと思うの。


その反動で私は息子が映画を見たいとかマンガが買いたいというと喜んで叶えてやる親です。これもきっと良し悪しなんだろうけど、


子ども時代の自分に対する親切のつもりなので許してほしい。