こんにちは!なぜかモスバーガーにいるパン屋の菅原です。だって自分じゃ作れない種類のパンだし家から離れてひとりになるのも好きだというかなんか。

個人番号カードの関係で息子を3時間ほど連れあるいたのですが、昔と違ってごはんを奢ればいそいそ着いてくるというふうでもなくなり、

リビングにいると、早くパン小屋に帰ってねと追い出されるしまつ。パン小屋、ドイツ語で
Bäckerei(ベッケライ)ですがそんな洒落たものじゃなく、工房の中の私が仮眠したり休憩したりするコーナーです。


きょうは7時に起きて外に出ようとしたら町内会の清掃日だと気付いて息子と遅れて参加。

その後マックによって公園へ。

帰って工房の片付けとか仕込み少しとか。

個人番号カードの受取に息子と出かけようと思って証明証(保険証とか免許証とか)を確認していたら印鑑が見つからない。

からの捜索20分。けっきょく別のバッグに入っていました。でもまあ探していたハサミや電卓が出てきたから、そのためのお知らせだったんだと思う。

誰からのって、菅原専用女神さま。何か失くしたり遅刻しそうになったり孤独感を感じたりすると、神さまがいまなにかに気づかせようとしているんだろうなと思う。

で、個人番号カード受取に市役所に。休日でも受け取れるのはほんとうにありがたいです。しかし美術館の解説ボランティアの時間に遅れるかもと思うとヒヤヒヤして、笑顔が足りなかったかも。反省。

その後美術館で無事任務遂行。早くうちでひとり心ゆくまでYouTubeに浸りたい息子にイヤミを言われながら写真館へ写真の受取へ。

いつもハガキサイズで現像を頼んでいた合評会用の写真を2Lで頼んでよかった。成長を励まされる。うれしい。一部は次回の萬鐵五郎室解説用資料にする。おおいろいろ計画性があるじゃないか。

盛久ギャラリーにも行く。

きょうまでの展覧会がふたつあって、どちらも以前関わりを持った作家さんの展だったから。



なにかをつくるひとにお話を伺うのがすきだ。

知識や情報を仕入れたいんじゃなく、そのひとの熱に触れて自分に風を起こしたいっていうか。

その後息子を自宅で下ろして、



ホームセンターへ。ここの近くに住んでガーデンセンターでもレジ打ちをやっていたことがあるので、その頃からもう12年もここの常連です。

当時からベテランだった女性スタッフにトケイソウのお世話について教えてもらう。好物の多肉のセール価格に胸が踊るというより傷んだが、多肉については店の窓辺を飾る以上には買い込まないようにしているので、きょうは買わなかった。

で、とっととうちに帰ってやることをやればいいのだが、モスに寄り道してこれを書いている。

私の高校時代からの愛読書(もう40年ものだがまだある)、『十五歳の遺書』(D・アリス 平井イサク訳)は意中の男の子と誕生日直前にデートの約束をしたもののすっぽかされ、ウキウキした予感で買った「日記ちゃん」に、そのやり切れなさから始まってきょうだいへの劣等感、家族の中での除け者意識、ある日やってきたLSD体験からの一転してきらきらした日々と転落…最後は17歳の誕生日に日記に感謝してこれからは周りの人に悩みを話していくことが必要だと思うと日記をやめ、それから間もなく麻薬により死亡している(自殺か故意に服なされたのか事故か不明のまま)。

とまとめると暗い日記みたいだが、いま読んでも古臭くない。むしろ麻薬がよその国や芸能界の遠い話だった昔より現代の方がピッタリするかも。

10代の頃も日記を書いてはやめてきたが、ブログについて思うことはアリスが日記ちゃんについて早くひとりになって日記ちゃんに書きたかったというのと同じだなと思う。

日記ちゃんは公開を予定されていなかったけれどブログは誰か読む人がいるからある程度制限がかかり、だからこそ続けられる。あとで読み返してもそれほど恥ずかしくないから。

書くことがべつに本業ではないのに、気持ちを落ち着かせる方法は私の場合は言葉を使って自分を腑分することなんだなと思う。それだけ。