石川みそたろう 個展 「アモケダオン 2018」盛久ギャラリー、最終日の最後におじゃましてきました。
石川みそたろう さんのことを知ったのは2016年の秋でした。SNSにあげる写真の撮り方、特にインスタグラムを活用してお店の魅力を発信するには、という講座の先生が石川みそたろう さんでして…。
早速気に入ってしまった黒猫の大きな大きな…花器?
黒猫が鞠にじゃれついて遊んでいるのですが、鞠が浮き上がるように切り込みが入っています。
鞠にも猫の体にも細い線の唐草模様は繰り返しいろんな作品にそのバリエーションが登場します。
リバーシブルの掛け軸のような、もっというと陶器の襖絵のような感じを受けました。
反対側にまわるとネズミがいるところも襖っぽいなあと。
若い頃につくった作品ということでした。
第一展示室では中央の染色作品がアクセントになっています。
この一輪挿しと障子のリズム感がいいですよね。ここのレイアウトがすごくいい。
粘土をこういうかたちに立ち上げさせるのはどうやるんだろうと私はパン屋なので、生地を頭の中でくっつけてみたんですが、やっぱり中に何もないとぐにゃっと崩れ落ちてしまう。
つくるとき、中に空気を吹き込むため口の周りが白くなっている、というお話を聞きまして、その呼吸を吹き込む一瞬がなかの空洞に入っているんだなと思うと、陶器の花器に体温を感じる。
第二展示室も作品と室内が馴染んでいていい。
特にこの「はじめの 一歩」という大きな花器と活けられた蔓と影のつくりだす空気がなんとも言えない。
ここに限らずすべての生け花(花はなかったんだが)は盛久ギャラリーの方になるものだということだった。すごくいい。
私は殺伐とした暮らしに疲れて少しはひとらしい暮らしをしようと思うと器を手に入れたくなる。
器をつくったひとの力を借りて自分の暮らしをましにしようというのだ。
豆皿と楕円ぽい皿を買って、ちょっとやる気を出したりする。生業のパン屋の自分と日常を暮らしている自分はなかなか地続きにならなくて、たまに落ち込むのだが、自分のパンをいいパンだと思って仕事をしたいので自分の暮らしもいい暮らしにしたいのである。
もちろん金満家になりたいとかじゃなくて。
ゴンドワナ、というタイトルだったけれど、
「ゴン ドワナ」になっていた気がする。ふたつに割られた器と太古の大陸。
スケールの大きな作品。
同じように破られたふたつのピースの作品は「ドゴ・サ・イダエン」。
共通語に訳すと、
「どこにいたんだ?」かな。
ほぼ一緒に入った女性が、これとこれとこれ、と頼んで雨の中を駐車場にお財布を取りに戻った(のか家に帰ったのか)、その感じがなにか活気があって気持ちよかった。