おはようございます。長崎原爆の日ですね。

3年前の夏に撮った画像たちです。


平和公園の「平和の像」とずっと思っていましたが、「平和祈念の像」でした。

作者の言葉を引用します。


平和祈念像作者の言葉
あの悪夢のような戦争 身の毛のよだつ凄絶悲惨 肉親を人の子を かえり見るさえ堪えがたい眞情 誰か平和を祈らずにいられよう 茲に全世界平和運動の先駆として 此平和祈念像が誕生した 山の如き聖哲それは逞しい男性の健康美 全長三十二尺余 右手は原爆を示し左手は平和を 顔は戦争犠牲者の冥福を祈る 是人種を超越した人間 時に佛時に神 長崎始まって最大の英断と情熱 今や人類最高の希望の象徴 
昭和30年 春日  北村 西望




広島は原爆ドームをはじめとする原爆の爪痕が一箇所にまとまっている印象でしたが、長崎はふと見上げると被曝のあとを留めた石像やブロックなどがあり、長崎に来るまで平和公園の平和祈念の像しかイメージしていなかったので、次々あらわれる被曝の跡にショックを受けました。




浦上天主堂、現在は新しい建物になっていますが、被曝像やレンガブロックが爆心地に移設して遺されています。





サトウハチローといえば佐藤愛子さんの異母兄と思ってしまうのですが、異母兄たちのうち次男の節が広島で原爆死したこともこの仕事を受けた動機かと思われます。原型は長崎原爆で被爆後も患者の治療にあたった永井博士の『長崎の鐘』。




平和町という名前にも深い思いを感じました。



防空壕を見たのは初めてだったのですが、東日本大地震の時も危惧したのは、息子と一緒に避難所に入って、息子が騒いで周りから白い目で見られる苦しさでした。
防空壕で赤ん坊が泣き出して、敵に見つかると赤ん坊を殺すことを迫られたお母さんの話とか、我が身に置き換えるだけでも息がつまるようです。
防空壕で蒸し焼き状態で亡くなる苦しさも耐えがたい。



平和公園から歩いて少しの爆心地に移設されている浦上天主堂の壁と聖人たち。

ここの爆心地には子どもたちが原爆をモチーフに描いたゲルニカの長い絵が掲示してありました。行った年は終戦70年の節目の年だったからなのか、いまもあるのでしょうか。

原爆というと山岸凉子の『夏の寓話』に引用されていた「死んだ女の子」をいつも思い出すのですが、元ちとせさんも歌っていたことをいま検索して知りました。


作詞:ナーズム・ヒクメット、作曲:木下航二
日本語詞:飯塚 広

       とびらをたたくのはあたし 

    あなたの胸にひびくでしょう 

    小さな声が聞こえるでしょう

  あたしの姿は見えないの

       十年前の夏の朝

  あたしはヒロシマで死んだ

  そのまま六つの女の子 

    いつまでたっても六つなの

   あたしは何にもいらないの

  誰にも抱いてもらえないの  

       紙切れのように燃えた子は

    おいしいお菓子も食べられない

       とびらをたたくのはあたし

        みんなが笑って暮らせるよう

       おいしいお菓子を食べられるよう

長めのおかっぱにリボンをつけた女の子が炎に包まれるシーンは忘れられない。


時代は戦争から30年以上経った現代で、親戚の留守番で暇を持て余した大学生の男の子がいつも一人でいる女の子が気がかりで、声をかけて親しくなったところで、女の子が炎に包まれる夢を見てしまう。


と、長くなってしまったのですが、ずっと忘れないで原爆について戦争について知ろうとすることが鎮魂に繋がると思います。


ではよい一日を。