長谷川利行展 七色の東京 府中市美術館(〜7/8)

見たいな〜と思ってから仕事の話が来るまで3日だった。これは神さまが絶対その仕事を受けて帰りに府中市美術館に行け!という思召しなんだろうと思って、

2泊3日の出張帰りの菅原です。よかったですよ、仕事も長谷川利行展も。

長谷川利行は画家より短歌をやっていた方が先だったので、文章も詩のようなアフォリズムのような人で、資料コーナーに展示されていた利行の文章で、

絵は人生に値するが人生は絵に値するだろうか。命の無駄遣いはやめたい(絵に打ち込みたい)、

そんな言葉があり、そこが特に残っています。



ピンクの背景にどーんと大きな「女」、



ひょろっとした線の「少女」、
(きょうはひょろっとした線が少女の腹筋と肋骨をうすく感じさせていることに気づいた。多分今回で5回目くらいの「少女」です)




黄色い背景の「青布の裸婦」、


一期一会の女や男や親しい文学者や画家仲間、風景も建物も、利行はみなひとしく愛していたんだろうなあと思った。生きていまここにあるということを愛していたんだろうなあと思う。

私は浅草といっても隅田川や吾妻橋や浅草寺くらいしかわからないけれど、昭和初期の銀座のカフェーや浅草六区を自分もいまぶらっと歩いている気分になって見た。


何度も借金を頼まれた岸田國士(もちろん頼まれて辟易していたのは岸田國士である)、や自分より




16も若い画家仲間靉光や、ここには展示はなかったけれど熊谷守一展で見た長谷川利行の守一の肖像画も長谷川利行の生きた証なんだなあと思った。

人以外の作品、


「汽罐車庫」や、


「カフェ・パウリスタ」も見てよかった作品で、

ナマで長谷川利行を見たあとでは図録の絵をスマホで撮るのも不謹慎な気がするが、いや、長谷川利行は生きていても気にしないだろうと思って。

文学の世界では太宰治、坂口安吾、石川淳が無頼派ということになっていて、高校の現代国語の資料で覚えてそうなのかと思っているだけですが、

利行の辿った道を平成のいまの私が見ると、無頼派もまだ無頼がぬるい気がする。というよりこのアウトローっぷりは往年の本宮ひろ志に描かせたい。あるいは「阿房列車」を描いた一條裕子だったら、どんなふうに描くだろうか。

そんなことを考えたのは、利行の描いた鉛筆の絵が水木しげるの武蔵野美術大学時代にスケッチブックに書いた人物スケッチを連想させたから。



長谷川利行展から東京駅に向かう途中、鉄道や建物が利行の目を通したものに見えて困った。


お土産は図録とクリアファイル。

ではでは♡