右肩があがりません。

 

きのうの夜、照明を切った厨房にちょっとだけものを取りに来たところ、ふだんと配置を変えていた台車ですべって、右腕をそうあってはいけない方向にねじった状態で下にしてしまい、しばらく激痛でくるしかったー。

 

自業自得。

 

なんだけどー!

 

痛いったら。

きょうの買い物は息子がいてよかったです。

 

幸い私は左利きなので、できるだけ右手にさせていた作業も左が引き受けるようにすればなんとか…火曜日までにはもう少し回復するといいなー。

 

関連して子ども時代の悲しい記憶が鮮明によみがえったので書いておきます。

 

昨今、学校での教諭による暴行や暴言が取りざたされるけど、私が子どもの頃はもう無法地帯でしたねー。自分のクラスの担任が、リレーのバトンのやり取りについて、腕を出したまま走るのは精白の人ですからね、と云ったときの衝撃。地域に障害のあるひとの学校があって、その運動会を見に行ったらバトンを渡す前からずーっと腕を差し出したまま走っていたんですって。いろんな意味でこんな先生いたらダメでしょ。

 

私はこの先生に目の敵にされていたんだけど、私がバカっぽくて成績も悪い癖に知的障害はなかったので特殊学級に送り込めなかったのが嫌だったんだと思う。当時は特殊学級といういまだったらそれだけでも人権問題になりそうな名称がまかりとおっていたんだよなあ。

 

知的障害はなかったものの発達障害スペクトラムの該当者なので、まあその先生のお考えはまるっきり外れていたわけでもない。

 

しかし、問題はそういうふだんから差別的発言のある先生じゃなくて、誰からも好かれる爽やかなスポーツマン風の先生から受けたことですよ。

 

体育のときはその男性教諭が見てくれていたんだけど、ある日、校庭で馬跳びをすることになった。馬跳びの背の高さを見るわけでも、もちろんマットを敷くこともなく。

 

危険じゃん!

 

案の定私は失敗して右肩から滑り落ちたため、痛みのあまり声も出なかった。クラスメートも先生も楽しそうに笑っていた。馬鹿だなあ、みたいに。

保健室に連れていくことも保護者に連絡することもなく。

 

私はその後1ヶ月くらい、服の着脱も痛みをこらえながら行うことになった。当時の子どもなので、学校の先生が悪いとは全然思わなかった。ただ先生も一緒に笑っていて、全然心配されなかったのが悲しい気持ちだっただけである。

 

昔の子どもはよっぽど活発な子ども以外は、学校で先生になにをされても親にいいつけたりしなかったので、先生もきらいな子どもにはやりたい放題だったと思う。

 

その先生は理科も教えていたので、私はもちろん理科がきらいになってしまった。というわけではなく、馬跳びの事件の前から理科はなにをやっているのか全然わからなかったのです。まあその先生のせいで理科が苦手になってしまった、だったらいいんですけど、それでいったら算数以外は2か3という生徒なので…。

 

担任の先生は女性だったけど、彼女につねに馬鹿にされたり、いじめられていたので、その空気が生徒たちにも伝染していたし、たぶん学校中の先生にも私のことは馬鹿にしていい空気になっているんだろう、と小5の私は絶望したことを憶えている。

 

いま学校の問題が露になるたびに、相談しろと気軽にコメントするひとを烈しく憎む。誰に相談したらいいのかわからなかったし、先生という絶対に公平でなければならないはずの大人がそもそもやっきになって馬鹿にしてくるなら、そういうひとが教師でまかりとおっている学校の誰に相談したら守ってくれるというのか。小学校の私の頭で考えても答えは

 

無理。ありえない。

 

だった。

 

あれから45年くらいたちましたが、同じように肩から床に落ちて痛い目にあったときに、誰の目を憚ることもなく、痛い!!と思いっきり叫べて、翌日も息子に痛いんだから持ってよ!とえらそうにできたので、あんなポンコツの学校なんかもうどうでもいいよ。