ただいま!
ずっと眠くて眠くて眠かったのですが、ちょっと痺れが抜けた感じだったので勇躍も大げさだが、岩手県立美術館にいってきました。
地元の美術館なので口語ではたんに美術館と言っています。博多に行けば博多ラーメンはラーメン、鹿児島ではサツマイモは唐芋になるみたいな。とは思うけど秋田犬は秋田でも秋田犬だと思う。
先日美術館の方がパンを買いにきてくれて、その時に中央公民館の「ビハインド・ザ・アート」と美術館の「アートフェスタいわて2017」の出品作家がけっこう共通しているということを聞いて、休みに行こうと思っていました。
会期はじめの土日には出品作家によるギャラリートークもあったんですよね。いくつかの作品について、作家自身の言葉を聴きたかったなーと思いながら展示をゆっくり見てまわりました。
全体的な印象として、
凪、とか
静か、
時間の移ろい、
海や川、森などの自然、
そんなようなものを受けました。
アグレッシブというより調和的な世界観。
今回は水墨画と日本画、書道が目立ち、出品リストを確認したら割合としては日本画は多くないので、たんに気のせいでした(笑)。
もしくは洋画と日本画の垣根が曖昧になっているせいかもしれません。
私自身がじわじわ変わってきているせいもあると思います。
10年前の私が興味のあるジャンルはシュールリアリズムとフランドル派くらいで、バルテュスとか松園とか、すきな画家が点で存在している感じで、水墨画はまるっきり興味のないジャンルでした。
わからなくても美術展に行ってみる、興味がなくても行ってみる、何がなんだかわからなくても少しでもアンテナに引っかかったらとにかく出かけて見る、ということを繰り返しているうちに幅が広がったんだと思います。
というのもあるし、年齢とともに好きな人やものだけではなく、嫌いな人やものについてある程度受け入れられるようになったことも関係がある気がします。
書道は連綿のやわらかさや筆勢のリズムがまったく書道のわからない私にも、絵としてうつくしくふくよかに映って、桜の木の下にいるような印象の作品がありました。
日本画で強く印象に残ったのは、画面いっぱいに描かれた一頭の犀の絵で、
犀と言えばデューラーの銅版画ですが、日本画ですから金箔の背景にグレイッシュな犀、足元の水たまり(かな?)の鮮やかな翡翠色、という配色もすきで、画風は違うんですが、栖鳳の金獅子を重ね合わせました。日本画部門でどうぶつを描いた作品はこの作品だけだった。
「ビハインド・ザ・アート」と対になるような出品も目立ち、
(画像は中央公民館「ビハインド・ザ・アート」のもの。撮影OKだったので)
プリン同盟の三河渉さんの「プリンを限界まで揺らす」という機械(?)が美術館には出品されていたのですが、同じタイトルの絵(上)がビハインドには出ていて、
ふたりのバルテュス風の少女のうごきやポーズが出品されていたプリン揺らし機械と重なり、作家による解説が聞きたかったなーと。
ビハインドの方でも解説会はあったのですが、金曜の夜でもちろん無理でした。
強いて言えば「絶望を殺めたアオ色」の方はどこか初々しさや清々しさがあり、ビハインドに出品されていた作品はインパクトがより大きかった気がします。
千葉準也さんの「執着天国」は一目でビハインドの続きだなあと思いました。襖をキャンバスとして描かれた絵が7枚、四角い駒のように並んだつり目の女性の顔は、ガラスケースに仕掛けられた鏡で逆さにすると笑顔が泣き顔や怒りに変わる…。
鈴木研作さんの「海までの距離」「海までの距離2」「写真と絵と言葉」「僕にできることはあるかな」(ビデオ7時間50分)(←美術館の開館時間内に全部見ることは一応可能)、
「海までの距離」「海までの距離2」は自作のピンホール写真なのですが、その発想を書いた「写真と絵と言葉」がおもしろくて、フィルムに書いたのかところどころ消えかかっているのも含めて、興味深かったです。
3/11ということを一日中考えていたわけではないですが、
写真部門の「6年目の鎮魂」(遠藤顕一さん)、「新盆に弔う」(北井崎昇さん)、
洋画部門の「震災の記憶〜高田松原」(高澤俊郎さん)
などはっきりと震災をモチーフにした作品以外の作品にも、時間の移ろいや自然を描いた作品に震災復興を思ってしまいます。
散歩途中の神社に入ってお賽銭(観覧料)を入れて、静かな心持ちになって出てくるという点で美術館は神社に似ている気がします。
アートフェスタいわて2017は3/25(日)までです。心の中に小さな泉が湧いてくるような、静かで力を秘めた美術展です。よかったらぜひ♡