こんばんは。
写真写りがいやになるくらいいい息子です。私の祖父がそうだったんですが、写真写りのいい人って、結局、笑顔がすごくいいひとなんですよ。笑顔にためらいがあるような私や弟や父みたいなタイプは指名手配犯にしかならない。わかっちゃいるけど。
さて、息子と美術館であります。
息子が赤ん坊の時から、えんえん15歳になる今日までいろいろ連れてあるいてきました。見てくれる人がいないという問題がいちばん大きかったんだね(笑)! ジョーソー教育?なにそれたべられるの?って感じ。
私は自分が本をよむのがすきなので息子に絵本を読み聞かせるのはむしろゴラクだったし、美術展に連れて行くのは家においておいても見てくれる人はいないからというただそれだけでした。
ひどいなあ。
でもまあそんなもんですよ。
息子の情操教育より、自分の文化活動。詩人で作家の伊藤比呂美さんがエッセイの中で、こうして文化するんです!と、赤ん坊や幼児の育児に追われて自分の時間がまるっきり持てない母親ほど、文化する時間が必要だと説いておられて、それを読んだのは独身のときだったのですが、実際に自分が子持ち(この言い方は伊藤比呂美さんがよくしていらしたので。
私自身は子持ちって子持ちシシャモじゃあるまいし、と思ってしまうのですが)になってみれば、子どもはなんておとなの時間をもぎとる生き物なんでしょうね。
育児は時間の奪い合い。そんなふうに考えてしまうのは私が現代の母親だからでしょうか。時間の奪い合いは配偶者とするのが一般的ですが、うちは配偶者がモラハラ夫だったので、なにをかいわんや。
おもに息子と綱引きをするように時間を奪い合ってきました。
文化するということはひとりになる時間を持つということ。物理的にひとりじゃなくても(伊藤さんは英会話教室に通っていたのですが)、日常的な人間関係や役割から解き放たれること、それが文化するってことじゃないのかなあ。
東京都写真美術館は2回目でした。私は(笑)。息子ははじめて。
興味を持つかな、なんて最近は考えない。息子の成長は私の知らないところで行われていて、こちらが予想もしていなかった反応を見せることが多いから。
学校や友達、ネット、読書などによって息子の世界は独自の広がりを見せておりまして、私なんかより豊かで瑞々しい世界がそこにはある、かもしれない。
東京都写真美術館にはじめて行ったのが、たまたまリニューアルオープン記念のときだったので、最初からこの建物しか知らないのですが、息子は壁面にプリントされた戦争の写真に、
「ノルマンディー上陸作戦じゃないかな? と思ったらやっぱり写真にそう書いてあってうれしかった」と言っていました。有名なるロバート・キャパの「ノルマンディー上陸作戦」(ちょっとピンぼけ)でした。息子はそんなことは知らないけれど、見逃さない。
私は植田正治の砂丘の写真しか目に入っていなかったけれど、息子はどこにいっても何を見ても、見逃すということはない才能をおもちだ。時々息子に対して劣等感をいだくことがあるほどだ。
TOP(東京都写真美術館の略称。カッコいいね!)のギャラリーショップで買った文庫本。
小5くらいから戦争や銃や戦艦や戦闘機についてすごく関心があるみたいで、私はおもちゃとわかっていても、家の中に銃があるのは気分がよくない。やめてほしい。戦艦も戦闘機も物騒としか思えない。しかし息子には息子の感受性があるので、止めるのも親のエゴでしょう。
私がただ一方的に連れまわしていた時代から、中1くらいから、自分なりの感想を言ったりするようになりました。
これは東京都美術館のギャラリーA・Cでやっていた、「現代の写実―映像を超えて」展。このスペースでの企画は、撮影OK(フラシュなしで)の展示が多いのです。
橋本大輔さんの作品の廃工場がすごくすきらしく、床に広がったオイルがいい、と言っていました。
私はざらざらした材質のものがすきなので、こういうところに惹かれる。
小田野尚之さんの作品の前にもたたずんでなにごとか考えているもよう。
私が育った地域は田んぼばっかりがあるところで、登下校は田んぼを見ながらだったのですが、40歳ちかく離れている息子はまたちがう感慨なのかもしれない。てかそこじゃないかもしれない。
一目瞭然で息子がすきそうな絵。元田久治さんの作品は巨大な建造物が破壊された跡、という設定のものが多いようです。
といって、息子がいま言った作品だけをみていたわけではなく、どの作品も満遍なく見ているんでした。
情操教育?なにそれたべられるの?という感じで、自分の欲望に息子をつき合わせてきただけの私ですが、
息子がこの絵がすきだとか、この美術展がみたいとか、口にするようになっていくらか後ろめたさが減りました(笑)。親は子どもに対していつだって後ろめたい存在なんである。私はね。
ではでは♡