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『水木先生とぼく』水木プロダクション作 村澤昌夫画(角川書店)

このマンガが出ていることを知って、岡山で見た「水木しげる魂の漫画展」を思い出してしまった。水木先生は、村澤さんにワシは着彩は得意なんですわ、と言って、紙芝居時代に使っていた色粉を使って迷いのない筆さばきでカラー原稿を仕上げていたそうです。このマンガはもちろん村澤さんが描いているんですが、水木しげるの絵としか思えない。

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水木先生の画力に感嘆する主人公深沢青年。
先輩アシスタントが辞めた後は水木先生と深沢青年のふたりで週刊連載月刊連載をやっているのである。

深沢青年だけでは人手が足りないということで新しいアシスタントを取る場面もあるが、深沢さんほどの腕はない彼らはすぐ辞めていく。

水木先生は気さくに語りかけるが、深沢さんは馴れ合うことはなく、いつも折り目正しい。

といっても先生のずっこけ発言はつねに心のスケッチブックに描きとめている感じで、決して先生を美化しているわけではなく、先生のさりげないやさしさも仕事に対する厳しさもみんなその素直さで見つめている感じがする。


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連載が切れてもアシスタントにも生活があるから仕事をさせなければいけないと水木先生はエッセイの中で妖怪画を任せたことを書いていたけれど、その期間じつに3年…。

しかしそこで妖怪画のストックができて、アシスタントの腕も上がったと水木先生もエッセイで書いていたと思う。


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本書の1/2を占めるのは水木先生とふたり旅の思い出である。1回目に読んだときはなぜこのバランスなのだろうと思ったけれど、旅の画の緻密さは息を飲まずにいられないほど緻密で、これは村澤さんから先生への感謝を込めた手紙ということなのかもしれないとも思った。先生のいないいまも私はあの頃のまま、先生の弟子として誠実に仕事をしています、先生が教えてくれたことを守っていますよ、というような。考えすぎ?

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この点描の描き方の指導。

「水木しげる魂の漫画展」では、池上遼一が当時を振り返って、点描をやっていると眠くなって居眠りをしてしまって、と回想していたのを思い出す。5mm角ずつ仕上げる点描…それは眠くならない方が無理では…。

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水木しげる、美人に何故そうもこだわる(笑)。
子どものような水木しげるをも村澤さんの筆はそのままに描いている。水木しげるがかわいいなあ、と思う。きっと村澤さんも先生を尊敬しつつも可愛いと思っていたんだろうなあ。

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バリ島でもパリでも背景の重厚さが際立ちます。

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ルネサンス期の美術が好きな深沢青年と素直にその解説をきく先生。

読んでいて、特に悲しいエピソードがあるわけでもないのに、泣きたいような気持ちにさせられた。

水木しげるはこの唯一の弟子である深沢(村澤)青年がすきだったのだ。
目をかけていたのだ。

そんなことを言葉に出すことはなくても、アシスタント募集でただ一人履歴書を持ってきた彼を、出された食事を美味しい美味しいとたべ、食器を洗って返しにいく彼を、人としても信頼できて自分の片腕として支えてくれる彼を、初めてコンタクトしたときからずっとすきだったのだと思う。

深沢さんが病気で1ヶ月も入院した時、経理をやっていた義姉にその月の給料を託している。
ここでグッとくるのだが、退院して仕事に出ると先生は深沢さんをからかって笑い、手術の跡が開かないようにさらしを巻いている深沢さんに無理をしないように気遣っている。

先生と弟子のふたり旅というと内田百閒の『阿房列車』を思い出す。師と弟子というともう一つ、『論語』も思い出す。

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偉大なひとりの師と出会って、その師に見込まれてずっと仕事を手伝い、師の仕事や人生観を学びつづけること。なんという希な、しあわせな生き方だろう。

フハッとかるくオチをつけて水木先生と深沢青年はヨーロッパから還り、それからずっとしあわせに漫画を描き続けたのだ。

ある意味、布団と机を持って住み込みのアシスタントになった日から、先生と弟子のふたり旅はずっとつづいて、いまも旅の途中なのかもしれない。