息子を送り出して、工房にはいって洗い物(いくらでもある!)と酵母の仕込みをやって、コーヒーを淹れてリビングに戻ってきました。

コーヒーはすきだ。インスタントコーヒーは「背負い水」に達したのかもう飲めないと思うが、レギュラーなら大丈夫。豆を買っているところも日月定休なので、行きたくてもいけない…。支店もあるんだけど本店のヴァリエーションの豊富さ鮮度に比べるとなあ…。豆をがりがり、じゃなくてガーッとマシンで粉砕するのも大好き。

たぶん製材工場の近くで生まれ育ったせいだと思われる。

父が大工で(父と製材所はまったく関係がない。製材所は祖母の親戚だが、父は婿養子なので)、たまの休みも家でなにか作っていたので(まさしく日曜大工だな!とからかったりもしましたが、日ごろはつまんないことで烈火のごとく怒る父がそこはなんのリアクションもなくてつまらなかった)、機械や工具のヴァイブレーションには慣れっこになっております。

機械の音もすきだといえる。

祖父は板金工でこのひとも休みでもなにか溶接仕事を請け負ってやってました。なんでそんなに働くのが好きな人々だったのか。ちなみにふたりは犬猿の仲だったので、祖父が溶接している日は父は長距離ドライブに出かけ、父が庭でクルマを洗ったり大工仕事をしている日は祖父は将棋友達のところに出かけていた。ということに今気づいた。不仲はわかっていたが、そんな仲の悪いひとびとが2年も二人暮らしをしていた晩年がいま思うとすごいな。

ふたりとももう彼岸のひとである。
あ、関連して墓がすきです。子どものころから墓参りはめんどうできらいでしたが、意味もなく墓場に行ってそこにいるのがただすきだった。水木しげるが墓がすきでアイディアにつまると自転車に乗って墓をめぐったと描いていて、あ、いいんだと思ったが、いいのか。



シャーペンがきらいで(不器用なので力の加減がわからず芯がぽきぽき折れるし、紙をひっかく掠れた音がイライラする)、
エンピツがすきだ。
エンピツを削るシャープナーの電動音がまたすき。手回しの鉛筆削りはとろくてきらい。

ミシンがすきだ。しかも電動ミシン。足踏みミシンは形状はきれいだが、実用は断然電動ミシン。

じゃあなんでもかんでもマシンがすきなのかというと、編み物は機械編みはすきじゃない。けっこう操作が複雑で爽快感がない(やったことはない)。むしろ、棒編みでえんえん編んだメリヤス編みをジャーッとほどく方が爽快だ。

陸上だったらスプリント。勝負が早いよ!爽快だ。
マラソンもすきだ。ルールが単純明快なのがすきだ。

月を見るのがすきだ。満月でも三日月でもなんでもすきです。とにかく上がっていればそれでいい。

虹。夕焼け。

マザーグース。

新古今和歌集。万葉の心もさっぱりわからないし、古今集もわからない。新古今の技巧を凝らした絢爛な歌だけが心に響くわけだ。

真珠のネックレス。ピアス。ダイヤモンドは女の子のお友達と歌われてもそうかあ?と思う。ダイヤモンドのアクセサリーがないからかも。買えばすきになるんでしょうか。ダイヤモンドのカットのよさもいまひとつわからない。バロック真珠のネックレスを2連持っている。イミテーションっぽく見えるのでカジュアルにつかえてすきだ。

仕事をしている日の午前2時から3時。3時になると休むことが許されなくなって、焦りしかない。2時は真夜中から朝への橋渡しのどちらでもない時間帯ですきだ。私にとっての黄昏時だ。

チューリップ。朝顔。自分でも育てているけど、変種がいろいろあるところが共通しているかも。チューリップも朝顔も人を熱狂させた時代があるというところも共通している。

空港。駅。駅は人気のないローカル線のホームもターミナル駅もなんでもすきです。駅の階段の上り下りは好きだと言い切れる自信がないけど。

空港は大きいほどうれしい。なんでかわからないけど。

フェリー。フェリーに乗って見る海や波。

 屋根の上。屋根にすぐあがれる実家がなくなって久しいわけだが、2階の窓からすぐに屋根に出られた昔の実家は今考えると非常に危険だったかも(笑)。私は屋根の上を走るのが得意だった。運動神経がないのだが、もし学校の体育に屋根走り競争があったら間違いなく1位だったと思われる。残念である。高所恐怖症でないことはたしかだ。

橋の上もすきだ。

梯子を上がるのもすきだ。

こうしてみるとなんて世界はすきなものにあふれているんだろうかと感動すら憶える。
もうちょっと生きてみたいと思う。

あしたは54歳の誕生日だ。

ではでは♪