{C83E189F-1F39-44A2-8B8D-EE7B779A97BF}
 
 

を言えば、記録手段として写真を利用した画家は決してフジタひとりではなかった。(「レオナール・フジタと写真」アン・ル・ディベルデル 〔ミュゼ・メゾン・フジタ館長〕)

 

 

 

モデルたち、という中にフジタも含まれていたことに気づいた時はあ、そっか!と痛快だった。

 

 

{24CF99F0-A0E3-4659-89DC-BC093BE33D6B}
 
{2E77A1DA-52E7-458E-A9DB-7D3BEE0D0612}
 

 

 

自画像もそうなんだけど、写真を撮られているフジタも多く、フジタは撮られるのも上手かった。

 

 

{4CCE0E04-3DC2-44FE-9D34-81E024EC0051}
 
青の自画像
 
{0C3DFBBD-F24C-4BC6-833D-6DB11A910F3C}
赤の自画像
 

 

 

2016年のフジタ生誕130年と2015年の戦後70年で藤田嗣治作品をずいぶん見ており、再会、再再会の作品もあったのだけれど、展示のされ方で受ける印象は違う。

 

私は衣服や背景の装飾や室内の細やかな作品が好きだったが、格闘を描いた作品がこんなにあったのかとも思った。

 

 

{CC4D9D16-C1EA-43B3-9D7A-05B1532178B7}
 
{B1C116D1-39C2-45BB-8E99-AF5DE42FB874}
 

以前から平野政吉コレクションで見ていた茶褐色の男たちや「秋田の行事」の鯔背な男たちの筋肉美に気づいてはいたけれど、フジタの中でひとつのジャンルだったんだなーとまとめて展示されているのを見て納得した。

 
{B27F12C5-12B5-48F2-AFD2-BD604D08C274}
 
モデルは力士なのでもちろん日本人(当時は力士といえば日本人だったので)なのだが、エキゾチックに見えてしまう。
フジタは最初から日本を外から見る目を持っていたのか、それともフランスに渡って、また世界のいろんなところへ旅してそうなったのか。
 
{FCAD5ED5-7006-431E-8D1F-F9335F281384}
 
今回の目玉、ふたつの大作のひとつ、
「闘争Ⅰ」「闘争Ⅱ」の二枚組。
 
{AA12E347-AD0A-405E-A499-9792BE0020D3}
藤田嗣治は東京美術大学(現在の東京藝術大学)で黒田清輝に油絵を教授されたのですが、西洋絵画は構成画が最上のものというものがあったらしく(そこはいまだによくわからない)、黒田清輝自身も「昔語り」という構成画を描こうとして綿密な部分画やデッサンを多く残しています(絵は未完)。
 
おなじく黒田清輝にならった萬鐵五郎も(フジタより1つ上ですが、美校では3学年下)、「裸体美人」を卒業制作で提出してアカデミスムに決別したということになっているのですが、後年、「水浴する三人の女」という裸婦による構成画をやはり綿密な部分画のラフや素描、部分画の積み重ねにより描いています(本人により裁断され一部分しか残っていない)。
 
いったいなんなの構成画って!
 
とこの数年ずっと疑問でした。疑問なので黒田清輝が留学の最後に会いに行ったというシャバンヌ展も見に行ったです。黒田清輝の「昔語り」の展示もあって、その時は何かわかったかというと、まるでわからない。なにがそんなにいいのか。なぜ構成画にする必要があるのか。
 
 
 
{1EFB6084-B6B5-4CFF-A305-49119697755D}
 
と思っていましたが、今回のフジタの大作を見て、やっとなにか構成画のよさがわかったような気がします。
 
ところでこの、「ライオンのいる構図」(「犬のいる構図」と2枚組の大作)、
 
檻の中のライオンはどうみてもフジタです。
 
全然ちがうけど、日本画の竹内栖鳳の「獅子」も金色でしたが、
あちらは咆哮さえ聞こえるような存在感のあるライオンでしたが、
 
フジタのライオンは離れ気味の目で裸婦群像を見ている感じです。
 
{421C39BA-5A2C-4F8C-AF57-BEF1F27CB3B1}
今回目を惹かれたフジタの自画像画。
同工異曲といいましょうか、たしかに、この同じような構図の自画像画はあちこちでみているのですが、
 
この三重県立美術館所蔵の自画像画は初めて見たと思われます。なんか目元が少女マンガしてるなあと思ったです。
 
 
{5085C188-27E8-43F4-B64E-C005B8D17E91}
黒目部分を硝子のような透明感のある光を入れているところもそうですが、ポイントは下まつげだと思います。
 
こないだ友人にマスカラのポイントは上まつげじゃなくて、むしろ下まつげだとレクチャーされ、マスカラで直に塗ると失敗しがちだけど、そこで歯間ブラシですよ!とアドバイスされたわけですが、
 
アイラインを眦を上げるように描き、下まつげに力を入れている目元の演出は、むしろいまの時代に合っている気さえします。
 
 
{D66B3C28-ADAA-4613-AB6D-D71246C301F5}
 
この絵がけっこうすきでした。
こちらは京都国立美術館所蔵です。
 
 
{1FBC68C1-D6AA-4559-BE1F-6FC04A8C8D26}
こちらは鹿児島市立美術館所蔵。
どちらもちがう展覧会で見ているのですが、
 
ふたつが並んでいるとモデルは同じでも、着衣とヌードという以上にちがう絵で、デジタル加工によるトレースとかでは望むべくもないと思う半面、これをいまデジタル加工で背景と服のあるなしで制作したらどうなるんだろうという好奇心も湧くのでした。
 
横たわる裸婦のヴァリエーションもずらっと並んでおり、並べてみてみたいなあと思っていた自画像、横たわる裸婦(「私の夢」と「眠れる女」など)がそのとおりになっていたのが胸のすく思いでした。
ああ気持ちい。藤田嗣治は自分でミシン掛けをするくらいなので、布の質感や模様に神経を注いでいるので、背景が細かく描かれている絵があるとうれしい。
 
 
{2BE2E9CA-4605-4F17-88C8-6DA1D1B9609A}
美校時代に描いた、とみさんを描いた絵。とみさんとは卒業後入籍はせず結婚しています。
 
卒業制作の自画像画も青っぽいですが、こちらはまだ明るみがあるかな。
 
フジタの人生と作品の変遷というパネルがあり、図録にも収録されていたのですが、それがわかりやすくて画期的でした。
 
思ったのはフジタはとみさんを皮切りに最後の君代さんまでパートナーが切れることがないんだなあということ。寂しがり屋さったのかもしれないなあ。
 
とみ、フェルナンド、ユキ、マドレーヌ、君代の5人の女性たちと彼女たちを描いた絵。
 
藤田には戦争画というジャンルもあるわけですが、どんな絵を描いたってフジタなんだと猪熊源一郎みたいなことを思いました。猪熊源一郎はフジタと親交があり、猫好きとか、暮しを楽しむとか、子どもたちへのまなざしとか、意外にフジタと共通するところが多い画家です。画風はだいぶ違いますが。
 
ではでは♪